日  誌
2010年7月⑨

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2010年日誌
スケジュール


国鉄闘争全国運動のホームページ
http://www.doro-chiba.org/z-undou/z-index.htm

7月28日(水)
 昼食は中国産ウナギとトロロ丼
三里塚の青はぐら瓜。

”歯(は)”が”グラグラ”している老人
でも食べられるとても柔らかい”瓜”
なので、はぐら瓜とか。

中の種の部分をスプーンで取り除き、
細く切って、浅漬けにすると美味しい。

また、薄くスライスし、塩もみを軽くした
後、めんつゆやドレッシングをかけても

のりこさんの田舎から野菜が送られてきました
3時のオヤツは、トウモロコシと、広島の下田禮子さんプレゼントのカルピス
出発前に夕食、豚とじ丼
冷奴
解雇撤回に向け、新たな決意で次の行動に結集を!
7・28解雇撤回!東京地裁包囲デモ 鉄道運輸機構公判
7月28日 11時 日比谷公園・霞門集合
動労千葉を支援する会のホームページから転載
7・28解雇撤回!東京地裁包囲 100名でデモ 
地裁包囲デモ出発
3・14法大弾圧を許さない法大生の会のブログから転載
7・28国鉄闘争勝利総決起集会に、325人の結集!
    国鉄闘争勝利総決起集会  
北島邦彦の「すぎなみ未来BOX」のブログから転載
 国鉄労働組合定期全国大会と国鉄千葉動力車労働組合の鉄道運輸機構訴訟公判にあわせて開催された、文京区民センターでの国鉄闘争勝利総決起集会に参加してきました。

 国労小倉闘争団NIPPOの羽廣憲さんは、国鉄1047名闘争を新たに推進する国鉄全国運動を国労内において組織化するために、「ただ批判しているだけではダメ。それだけでは『正しいと思う』で終わってしまう。組織してすべてに責任をとる主流派になろう」と訴えました。まさしくそのとおりです!ここに私たちの運動のまったく新しい局面があるし、きわめて厳しい困難性と展望・勝利の希望があります。

 国労バッジを着け続けてしかもなお電車運転士をまっとうした国労八王子の中村幸夫さんは、JR体制になってから労働者が“もの言えぬ”状況になった職場のありようを弾劾し、「ネクタイなんかしなくても電車の運転はできる」と喝破しました。本会議でのノーネクタイを貫いてついに今年から夏場ノーネクタイをルール化させた私としては、これもまたそのとおり!
国労の羽廣さんがいました 動労千葉の中村仁さんもいました
田舎のトウモロコシを食べます
開会の挨拶 共に闘う国労の会・国労仙台地本、国労近畿地本
連帯の挨拶 動労千葉 基調報告 1047名被解雇者当該からの訴え
   国労闘争団  
「街」分会のすべてのビデオは、こちら
1047名被解雇者当該からの訴え
     動労千葉争議団
カンパアピール 国労秋田闘争団家族・小玉さん、休憩時間・小玉さん
共に闘う決意表明、各職場   
国労現場から
まとめ
   共に闘う国労の会・呼びかけ人
   国労新潟駅連合分会長・星野さん
7.28国鉄闘争勝利総決起集会に参加しました。
「4.9和解」情勢という日本労働運動の重大な危機。この深刻な危機を真正面から見据えること。
戦後の労働運動の闘いは風前の灯火だったこの危機のなか、私たちは何をするのか。

決して、国鉄闘争の火を消さないこと。全国の労働者と結びつき、火を大きくしていくこと。

我々以外、闘うところは誰もいなくなった!渾身の決起が開始されている。
国鉄労働運動こそ、新自由主義の攻撃と闘う運動体だ。
国鉄全国運動を爆発させよう!

8.5学生集会とはコレだ!~呼びかけ文完成~
広島大学*全学連ブログより
「8・5全国学生集会 in ヒロシマ」呼びかけ文
 広大生のみなさん! 私たちは来る8月5日に開催される「全国学生集会 in ヒロシマ」へのご参加を熱烈に呼びかけます。被爆65周年を迎える今夏8・6ヒロシマには、核と戦争に反対する学生や労働者が全国から集まります。さらに今年はドイツからも4人の学生が来日し、8月5~7日の行動を日本の学生とともにします。国境を越えた学生・労働者の力で、いっさいの核兵器を廃絶しましょう!

①いっさいの侵略戦争と核兵器を廃絶しよう。
 最初に確認したいことは、08年以来進行する世界大恐慌の情勢が、再びの世界戦争と核兵器使用の現実性を引き寄せている、ということです。08年のリーマンブラザーズ証券破綻を契機として全世界の金融バブルは崩壊し、需要に対して過剰に成りすぎた生産力が露呈しました。自動車産業では09年、全世界の自動車生産能力は8633万台であるにもかかわらず、生産したのは5715万台で、66・2%しか生産設備が稼働していない状態です。その結果、全世界で2億人超という膨大な失業者が生み出されています。

 この過剰な生産力が生み出すのは国際競争の激化です。そして、それは企業間の競争だけではなく、国家間の対立として発展しようとしています。世界有数の大企業が次々と破綻する中で、いまや世界中で金融機関や大企業の実質国有化と国債発行や増税による救済措置がおこなわれています。国家が企業の破綻を取り繕い、失業率の増加に伴う国内体制の不安定化を阻止しようという動きが強くなり、市場をめぐる争奪戦に国家まるごとが乗り出してくる情勢がはじまっています。その最先頭に立っているのはアメリカ・オバマ大統領です。彼は所信表明演説で「輸出を2倍化する」と宣言しました。それは、世界中の生産を住宅バブルなどによる消費過熱で吸収してきたアメリカ経済を大転換させることを意味するものであり、世界の経済構造の大規模な変動を宣言するものです。具体的には中国人民元の切り上げを要求しています。このオバマ政権の経済政策により、世界中で保護貿易が台頭し始めています。アメリカがバブルで成立させてきた過剰な消費を補填できる市場は世界のどこにもなく、始まるのは破綻をどこかの国や地域に転化することで自らは生き延びるという体制の存亡をかけた市場争奪戦だからです。

 だからこそ、この問題は単なる経済政策の領域にとどまらず、政治・軍事的な対立をも必然的に激化させて進行していかざるを得ないものとなっています。

 現実にも、韓国軍の哨戒艦沈没事件をきっかけにした北朝鮮への戦争重圧が、日米韓の支配者によって急速に高められています。7月25~28日には、対北朝鮮を想定した米韓の大規模軍事演習が日本海にて実施されます。また、それと一体で日本の国内においては、今年5月に憲法9条改定へ向けた「国民投票法」が施行され、改憲と日本の戦争国家化が狙われています。こうした戦争国家化は国内における治安弾圧の強化と一体で進行します。東京の法政大学においては、大学や社会のあり方に抗議の声をあげた学生が、退学処分や逮捕という弾圧を受けています。こうした中、「日本の核武装化」を扇動する田母神俊雄元航空幕僚長が、昨年に引き続き今年の8月6日にヒロシマで講演会を企画するなど、思想・歴史観においても過去の日本の戦争を正当化する動きが始まっています。 

 このような情勢は、現実に戦争が切迫する危機の時代であると同時に、核と戦争に怒る広範な民衆がそれらの廃絶に向け澎湃(ほうはい)と立ち上がる根底的な変革の時代です。私たちは今こそ、戦後最大・最長といわれるヒロシマの反戦反核運動の力を真によみがえらせていく情勢だと考えます。

 ところが、広島市の秋葉市長をはじめとした既成の反核運動が行っていることは、「オバマジョリティキャンペーン」というオバマ大統領への支持運動です。彼らはオバマ大統領を指して“核廃絶のリーダー”と呼んでいますが、そのオバマ大統領が実際に行っているのはどんなことでしょうか? 彼は今年4月に発表した『NPR(米核戦略見直し)』で「NPT(核不拡散条約)に加盟している国には核攻撃はおこなわない」「イランと北朝鮮はNPTに加盟していない」と発言、“NPTに加盟していない北朝鮮やイランは核攻撃の対象である”ことを示唆しました。 

 また、2011年度の予算では核兵器関連予算を13%増額させ、「戦術核兵器B61の改良」、「水爆起爆装置製造工場の建設」、「ネバダ核実験場の臨界前核実験」などに多額の予算を投じています。秋葉市長に代表されるオバマ大統領を支持する人たちは、これが「核廃絶への動き」だというのでしょうか? オバマ大統領は他方で、今年4月にロシアとの間で『核軍縮条約(STARTⅡ)』を締結しましたが、これは不要になった、維持にコストのかかる古い核兵器を削減するということであって、これを「核廃絶に向けた大きな一歩」などと評価することはできないと考えます。何より彼は「私の生きている間に核兵器はおそらく無くならないだろう」という立場を、プラハ演説やノーベル平和賞の受賞演説で繰り返し表明しています。

 日本共産党や既成の反核運動団体は「世界は平和に向かっている」と言い、その流れに対立する北朝鮮やイランこそが制裁の対象であると主張します。しかし、現実に進行しているのは大恐慌の拡大による各国財政の破綻であり、国家間の市場争奪と戦争です。そして、その最先頭に立っているのは北朝鮮でもイランでもなく、アメリカ・オバマ大統領です。だから、私たちは「オバマ大統領に核廃絶を期待する」とか「核兵器のわずかな削減を喜ぶ」という立場に立つことはできません。
 
 しかし、だからと言って、戦争の切迫をあおり、それへの対応として自国の核武装を掲げる田母神元航空幕僚長のような立場に立つこともできません。なぜなら、核兵器とそれを必要とする戦争は、私たちと絶対に相容れることはないからです。

 そもそも私たちが廃絶しようとする核兵器とは、どのようなものでしょうか? 1945年8月6日午前8時15分、アメリカ軍は広島市中心部上空より原子爆弾を投下。上空600㍍地点で爆発した原爆は、1秒後に直径280㍍・表面温度約5000℃の火球を形成。この火球は「熱線」「爆風」「放射能」という三つの複合した破壊力となり、わずか10秒で全市を破壊、数万の人命を一瞬にして奪った。

 爆心地の地表温度は4000℃に達し、爆風は大型台風の瞬間最大風速の数倍の風圧となり、街のすべてを吹き飛ばしました。熱線と爆風により市内建物約76000戸の68%が全焼・全壊、約24%が半焼・半壊。

 さらに通常兵器にはない原爆特有の放射能(ガンマ線や中性子線は)が人体を貫き、土壌や建物を汚染し、大量の残留放射能を市内全域に発生させました。爆発から20分後には、大量の核分裂生成物(いわゆる「死の灰」)を含んだ黒い雨が降り注ぎ、投下から何年、何十年経った後も、通常兵器にはない様々な後遺症・後障害で被爆者を苦しめつづけてきました。その最たるものが、白血病やガンを引き起こす放射能障害です。

 当時約35万人と推定される広島市の人口のうち、同年12月までにおよそ14万人が死亡。広島への原爆投下の3日後には長崎にプルトニウム爆弾が投下され9万人が死亡しています。

 また現在においてもオバマ大統領が指揮するイラク・アフガニスタン戦争では、09年までに200万人の住民が虐殺され、また戦闘で大量使用された劣化ウラン弾(3000トン)により、多数の民衆が被爆する現実が生み出されています。

 核兵器は、単に破壊力・殺傷力の大きな兵器ということではありません。それが目的としているのは、何より民衆の虐殺です。国家の生産力を総動員してのみ可能になるのが現代の戦争であり、その勝敗を分けるのは前線の個別戦闘ではなく、後方の兵站・補給線の維持・拡大です。より大きな生産力をもっているほうがより大きな戦争の遂行能力をもつ。この戦争の現代的基盤を破壊するために爆撃による市街地の破壊や、毒ガスといった大量殺戮の手法が生み出されてきましたが、その行き着いた先に開発されたのが核兵器です。国内有数の軍需工場群をもっていた広島がその攻撃対象になったことに明らかなように、核兵器の目的は戦争の後方でそれを支える労働者を一挙に殺戮し、継戦を不可能にすることです。そして、この核兵器の開発・維持のためには大量の生産力が必要とされます。そこにも動員されるのは労働者です。民衆の動員で民衆を虐殺する。それが核兵器の本質です。この核兵器に反対することは、それを必然とする現代の戦争のすべてに反対することです。

 この核兵器と戦争の本質が明らかにしていることは、現代の核と戦争は、民衆の動員なしには維持できないということです。ならば、核と戦争に反対する民衆の直接行動こそは、核兵器と根底的に対決する力です。全世界の学生・労働者の団結した行動のみが、オバマ大統領の推進する核戦略・戦争を阻止し、核と戦争を廃絶する唯一の道だと私たちは考えます。

②今こそ学生は反戦政治闘争に起とう。
 だから、8・5学生集会は第一に、反戦反核を掲げた学生の政治行動を巨大な規模でよみがえらせていく集会です。その展望は何よりも、7月11日に投開票された参議院選挙の結果がはっきりと示しています。参院選は、民主党の大敗により、与党が参院で過半数を取れず「ねじれ国会」になりましたが、その結果を受けた『読売新聞』の世論調査では、それを「良かった」と思う人が54%と過半数に上っています。これは、国民の過半数が何も決められない国会になってよかったと思っているということではないでしょうか。国会が正常に機能すれば消費税が上げられる、社会保障が削られる、労働者の首が切られる、政治家がやりたい放題やるからダメだ、「議会は何も決めるな」「民衆こそが政治を行おう!」、これが参院選で示された声ではないでしょうか。

 実際に沖縄では4月25日に米軍普天間基地の撤去を求める県民大会に9万人が結集し、鳩山首相を辞任に追い込みました。いまや民衆が行う政治にこそ正義があり、現実に時代を動かす力があるということが沖縄をめぐる情勢で示されています。

 しかし、菅首相は、辞任した鳩山首相の意思を継いで沖縄・辺野古への米軍基地建設を推進しようとしています。今も、基地撤去を求める沖縄県民の意志を踏みにじるために基地の工法や位置についての日米実務者協議が行われています。そして、11月に横浜で開催されるAPEC(アジア太平洋経済協力会議)で日米首脳会談を開き、基地建設に最終的なゴーサインを出そうとしているのです。この横浜APECは、沖縄基地問題に加え、北朝鮮問題等をめぐる「戦争会義」になろうとしています。しかし、こうした政治家たちの思惑は、民衆の行動によって覆すことが可能です。沖縄では、参院選で政権与党である民主党は候補を立てることすらできませんでした。さらに民主党政権がアメリカと合意した「8月中の工法確定」はすでに覆され、11月末の県知事選以降になると言われています。数年に一度の選挙でやれることは、政治家に信任を与えるか、規制をかける程度のことですが、直接の政治行動は選挙の結果をないがしろにする政治家の行動をうち破ることもできる、ということを戦争に反対し、基地に反対する沖縄県民の行動はしめしています。今求められているのは、戦争を阻止し、政治をその手に奪い返すために学生が直接に政治行動をすることです。私たちは8・5学生集会の翌日には広島市の平和祈念式典へ出席する菅首相を弾劾するデモ行進を行います。これは沖縄の民衆と連帯し、米軍基地建設を強行しようとしながら「平和を祈る」という菅首相の欺瞞を弾劾するデモです。沖縄の民衆と連帯し、ヒロシマから反戦・反核の行動に立ち上がりましょう。そして、米軍基地建設とアジア市場争奪のための戦争会議である11月横浜APECを打ち砕く巨大な政治行動を巻き起こしましょう!

③学生自治を復権し、大学を学生の手に取り戻そう。
 8・5学生集会は第二に、学生が大学を自分たちの手に取り戻していくための集会です。この間、大学をめぐる衝撃的なニュースが報道されていますが、これではっきりしたことは、今の支配者には学生に未来も、教育を受ける権利も保障する力はなくなったということです。

7月6日付の『読売新聞』では、昨年就職できずに留年した学生が10万人に上ると言われています。これに就職できずに卒業したと言われる3万人を合わせると実に13万人もの学生が就職できなかったことになります。これは卒業予定者56万8千人のうちの2割以上に当たります。

 さらに6月28日に菅内閣が閣議決定した「財政運営戦略」にそって文科省が試算したところ、国立大学への運営交付金が来年度は927億円も削減されるということも明らかになっています。この削減を学生の授業料アップで補う場合、一人につき年間23万円の学費増となります。補填措置を取らなければ大阪大学と九州大学が消滅するか、東京学芸大も含めた地方27大学が解体されるような規模です。まさに、社会的事業としての教育が崩壊するような情勢が到来しています。

 このような状況の中で、今の大学理事会がやっていることは何でしょうか?東京の法政大学では、理事会の運営方針に批判的なビラをまいた学生が、停学や退学の処分を受けています。そこで当局が使用する論理は「営業権の侵害」です。学生が批判的意見を持ち、それを表明し、行動することを、学問的意義において批判するのではなく、営業、つまり金儲けの権利を侵害するから封殺するということが大学の名でおこなわれています。また、全国の大学で学生自治寮の改修などを通した民営化が進められ、寮費の高騰が起こっています。私たちが通う広島大学においても、「平和を希求する精神」を第一の理念として掲げておきながら、日本最大の兵器産業である三菱重工業の会長を経営協議会の委員として任命しています。また昨年は、広島・長崎に投下した原爆を開発し、今もなお世界最大の核兵器開発拠点であるアメリカのロスアラモス国立研究所との提携も始めています。

 総じて、おきていることは、社会的な事業としての教育が成り立たない中で、教育の名のもとに営利が支配する空間に大学が変質しようとしているということです。

 大学がこんな状況で本当によいのでしょうか? 私たちは、このような大学の変質は根本的に学問・教育の否定であると考えています。そもそも学問の本質は批判です。現在を乗り越え、新しい地平を切り開くものこそ学問であり、学問の現在における到達点は、それに人間を従わせるためにあるのではなく、新たな世代が乗り越えるべき課題を明確にさせるためにこそあります。だからこそ、私たちは批判的精神と学生の主体性こそ学問と教育の本質であると考えます。しかし営利をもって学問の本義を貶め、学生の自治に介入して決定権を奪い取っていく今の大学の現状は本質的にはもはや教育と呼べるものではありません。

 ではこの現実や趨勢は変わることのないことなのでしょうか? 私たちはそうは思いません。教育を保障できないのが大学や社会の現状であるとするならば、そんな大学と社会のほうを変えればいいだけのことです。

既存の支配層による教育の破綻の中で、学生こそが大学・教育の主人公になるべき時代が来ています。そして、すでに学生の巨大な反撃が全国で始まっています。法政大学では理事会の学祭規制に対し30ものサークル団体が、処分を恐れず抗議の声をあげ、全国の自治寮では、民営化を阻止する寮生の強力なネットワークが構築されています。
 何より決定的なことは、こうした学生の自治が力強く実践されている現場においては、学生の主体的な政治行動も拡大しているということです。先に触れた沖縄米軍基地の撤去を求める民衆の行動に県外から参加し、最も主体的に行動したのは自らの大学で当局と闘い、自治と団結を拡大する学生たちでした。当局の支配介入を拒否し、自らの手で寮や大学を運営することで、学生は社会総体に対する責任を自覚し、政治を奪還するということが生み出されています。8・5学生集会はこの学生自治をめぐる闘いの最先端を担う法政大学や全国の学生自治寮の学生が結集し、学生自治の復権と政治の奪還を勝ち取るための集会です。8・5学生集会から、学生自治を復権し、大学を学生の手に取り戻す運動を始めましょう!

④戦争と「教育の民営化」をうち破る学生の国際的ネットワークをつくろう。
 8・5学生集会は第三に、学生の国際的なネットワークをつくるための集会です。今回の学生集会には、ドイツから4人の学生が参加します。彼らは、今年の6月9日にドイツ全土で行われた「教育の民営化反対」の全国ストライキ(8万5千人が参加)を先頭で担った学生です。ヨーロッパの大学改革政策「ボローニャ・プロセス」。この政策は「ECTS=欧州履修単位相互認定システム」に基づいて欧州全域の学生を単一の基準で評価できるようにして、労働市場の要求に適合させるというものです。そして、「学生の努力を勉学の負担量で測定する」という基準を据え、授業内容をどれだけ理解したかではなく、イスに座っていた時間と課題をこなした「負担量」に応じて単位を与えていきました。ドイツの学生はこのボローニャ・プロセスと対決し、大学の「学校化」反対を掲げて大規模な抗議行動をおこないました。

 さらにこの間、全学連の学生が海外の学生と交流してわかったことは、どの国の学生も「教育の民営化=私物化」との対決という同じテーマをめぐって立ち上がっているということです。3月に訪れた米・カリフォルニア州では、「刑務所ではなく教育に予算を回せ」というスローガンの下、学生を先頭に100万人がゼネストに立ち上がりました。企業が囚人を時給30円で働かせてボロ儲けするために刑務所へ莫大な予算がつぎ込まれる一方、州立大の学費が30%も値上がりすることに対する学生の怒りが爆発したのです。6月に訪れたブラジルのサンパウロ大学では、05年から軍隊が大学に常駐し、学生の政治活動を取り締まるということが始まっています。これに対し学生は、学内でデモ行進やストライキ、学長室占拠などを行って対抗しています。

 今年に入って5度のゼネストが行われているギリシャでは、学生もストライキに参加し、大学で貧困層の子どもに無償教育を行っています。中国では、私たちと同じ世代の若者がホンダやトヨタといった日本企業に対し賃金アップのストライキに立ち上がっています。世界中で学生が同じことに直面しているということは、世界中の学生が結びつき、ともに行動していくことの条件が生み出されているということでもあります。そして現実に全世界で大学を、社会のあり方そのものを根本から変革しようとする学生・青年の運動が巻き起こり、その結合が開始されています。今年の12月には、学生の国際的な統一行動が行われることも決定しました。広大生のみなさん、海外から来た留学生のみなさん、この国際連帯をもっともっと拡大して、「戦争と教育の民営化」を阻止する学生の強大な国際的ネットワークを構築しましょう! 広島大学こそ、この国際的ネットワークの拠点として全世界の学生の前に名乗りをあげていきましょう!

⑤戦争と核兵器を廃絶するのは私たち学生だ。
 改めて、広大生のみなさんに8・5全国学生集会へのご参加を心から訴えます。大恐慌が失業と戦争を生み出す時代の中で、核兵器をはじめとした軍事力によって各国の民衆を分断し、競わせ、破産した体制を延命させようとしている連中に、人類社会の未来を展望する力はありません。その支配を打ち破り、学生が自らの行動によって大学と政治を取り戻し、国境を越えて結びついていくことこそ、社会を変革し、未来を切り拓く展望です。

 8・5全国学生集会は、8・6ヒロシマ大行動に先立ち、全国あるいは世界中から集まった学生が、社会を変革し、未来を切り拓く存在として団結する場所です。ともに8・5集会を成功させ、ヒロシマの地から世界を変革する学生の行動を開始していきましょう!

 だ  ん   け  つ 2010年7月28日
№419
東京北部ユニオン 「街」分会
関町北4-2-11

No.

反合・運転保安闘争路線―出発点としての船橋事故闘争 労働学校講演 布施宇一

 6月26日の労働学校実践講座は、布施宇一顧問の講演と併せて受講生・卒業生のよびかけで中野洋前委員長の偲ぶ会が行われた。布施顧問の追悼講演の要約を掲載する。

 「反合・運転保安闘争路線」とその出発点としての「船橋事故闘争」ということですが、71年の反マル生闘争から77年の三里塚ジェット闘争、この間に私はどういうことをやっていたのかを話すのが一番いいのかなと思います。運転士の仕事をやりながら、非専従で組合活動をしていたこの5年間位が、私がここまで来る原点であったし、そこがあったからここまでやってこれたとも思います。

会場には中野前委員長の遺影が掲げられた
   「マグロ」―反合・運転保安闘争
 この間、OB何人かで雑談していたら、自然と「マグロ」の話になった。列車に轢かれて死んだ轢死体のことです。みんなその話は一つや二つ持っている。私も4つあります。一番最初は機関士の時だけど、一番ひどかった。千葉から郵便列車を運転して、木原線(現いすみ鉄道)の大多喜まで往復する仕事の帰りに飛び込み自殺をやられた。すぐ降りて機関士と車掌と3人で見に行ったら頭がない。グチャグチャで、しかも亡くなったばかりだから、死体がブルブル震えている。3人とも立ちすくんだ。死体を線路の外に出してみると、足が膝の下からとれて骨がむき出しになっていた。

 運転士の心理としては、自分がいつそこにぶつかるか分からないというのがある。突きつめれば、むごたらしい死体を見て、自分もそうなるかも分からないという立場で仕事をしている。安全問題、運転保安というのは運転士、機関士という職種にとってはそういう問題なんです。場合によっては命までとられるような仕事をやらせておいて、安全設備にろくな手入れもしないで、合理化でどんどん輸送力を増やし、事故問題は本人の責任にされている。そういうなかでおきた船橋事故は、76年に反動判決が出て、それまでの国鉄の例で言えば、当該者は懲戒免職か、依願退職が普通だったけど、高石君はそうさせなかった。そのことは運転士をはじめとする現場の労働者にとって、極めて衝撃的事実としてあった。運転士に全部責任をかぶせようとすることに対し、正面から闘う連中なんだと、説明しなくても分かる闘いとしてみんなの前に示した。反合・運転保安闘争という時、そこに勝利したことが、動労千葉がここまでくる大きな出発点になっていると思います。
  日常の職場闘争
 70年頃の国鉄は、半分かそれ以上が45歳以上で、この世代の人たちに動員に行ってもらわないと地本の動員の数はとてもこなせない。オルグは自分の話を聞いてくれる人だけやっていたら、動員に出てくる人もだんだん少なくなるし、運動の前進もない。むしろ自分の言うことを聞いてくれない人に一生懸命やらなければいけない。だから否が応でも話をする。反マル生闘争の時には年齢的なギャップというか、対立、そういう要素がものすごくあって、年輩者はなかなか言うことを聞いてくれなかった。だけど船橋事故の裁判闘争の動員に行ってくれと言うと、これは仲間のことだから行ってやるか、みたいな雰囲気があった。当該の運転士を原職に復帰させたことの評価は、口に出していわなくても、彼らの間でもものすごく高い。そこを切り口に話を積み重ねていくと、いろんな動員に出てくれるようになった。

 そういう年代の人たちの中には、戦後革命期の闘争を体験している人たちもいる。2・1ストのあと、ある共産党の人が職場から突然いなくなった。職場の労働者からすれば、信用してやっていたらある日突然、「何も指令が来なくなって、下からどうなっているんだと言われて立場がなかった。よっぽど鉄道を辞めようかと思ったけど、俺も生活があるから辞められなかった」と、そういうことを直接言われたのは1人か2人だけど、「党派の人たちは勢いがいい時にはいろんなことを言って、調子悪くなるといなくなっちゃうけど、俺たちは現場から離れられないんだ」、だから、ホイホイ言うことなんか聞いてられないよ、というのが相当強烈にあった。

 また、「戦争では、後ろから撃たれる奴だっていっぱいいる」とも言われた。いい気になって後ろをちゃんと見ないとやられるぞ、ということを言いたかったわけだ。現場の労働者にすれば、そこの職場で生活していくことを大事にしなかったら誰も言うことを聞かないよと。それぞれ生活があって、家族があって、信じるもの、守るものがある、そのことを無視して言ってもダメだということなんですね。「一緒に鉄道に入ったあいつは助役になったけど、奴の言うことの方がお前らより信用できる」というような人間関係、信頼関係、そういうことも無視しちゃダメだと思うんだね。間違っていることは間違っていると言わなければいけないけれど、生一本に「正しいんだからついてこい」だけじゃ人は言うことを聞かない。それが職場生産点というものだと思うんだよね。また、どんなに熱心にやっても、原則を曲げたら、やはり最終的には獲得できない。基本的な考え方としてはそういうことだと思うんですよ。

 事故問題は労働運動の課題―責任は資本の側にある
 事故は、どこかで間違いがなければ事故にならない。だけどミスしない人なんて1人もいない。労働者が一つ二つミスしたって事故につながらないように、安全のための手立てをとる義務が会社、資本の側にある。そういう立場に立たないと、反合・運転保安闘争は成り立たない。

 今、医療や介護現場のいろんな事故が報道されるけど、過重な労働を現場にやらせておいて、事故が起こった時だけ当該労働者の責任だなんて冗談じゃないという気持ちは、どこの職場にも共通してあると思う。しかし、そのことを労働運動の課題として真正面から取り上げて、団結で立ち向かうというふうに組織した労働運動というのは、私が知るかぎりない。
 09年度だけで10万人からの人が死傷災害にあい、毎年1千人以上の人が労働現場で死んでいる(厚生労働省資料)。資本の側は、安全設備を一つひとつはがし、労働者の注意力だけが頼りの、そこが崩壊したら即事故というようなやり方をしてくる、それが合理化だと思う。「儲かればいい、事故処理等で利潤が吹っ飛ばない程度に手当てすればいい」というのが資本家の構え。危険が増すことは彼らも承知しているから、労働者に精神教育する。尼崎事故もそうだ。
 そういう労働を強制した会社側に責任がある。そういう立場に立たなかったら労働者は守れない。船橋事故闘争は、その一番最初の道を切り開いた闘いとして決定的な意味があると思うんですね。
 事故―資本への怒り
 JRになって動労千葉が初めて列車を止めるストライキをやったのが89年の東中野事故一周年の12・5スト。87年にJRが発足して、翌88年12月に東中野事故が起きた。

 津田沼電車区に行くと、職場全体が沈んじゃってる。庁舎に入っていくと、現場長以下、真っ青。そこで職場集会をやったわけですよ。中野委員長が「こんなことで動揺するな。こんなことをやらせたのは当局だから、もっと怒れ」と演説をぶった。俺は職場集会を現認させないために区長室に区長と助役を閉じこめて、「この雰囲気を見てみろ。こんな事故起こして毎日、新聞に叩かれて、このままでいたらまた事故を起こすぞ」「そういう流れをどうやって止めようと思っているんだ」と聞くと、区長も主席助役も何も言えなくて下を向いている。それで「こういう時は怒らせるしかないんだよ。みんなを〝ふざけんじゃない〟と怒らせれば、緊張するし、ちゃんと仕事をやる。お前らにはできないだろうから、俺たちの方でやる」と。実際、どこの組合員だろうが、また同じような事故をやらせるわけにはいかない。こんなことをやらせたJRに対して怒れと。みんな腹の中ではそう思っているんだから。

 事故に対しての怒りは、事故がなければ沈静化しているけれど、地下のマグマみたいにいつも労働者の中にある。そのことを正しく解放すれば、資本主義打倒ということも含めて、必ず勝てる。そういう大きな基盤が職場の中にあることに確信を持つべきだと思うんですね。そこから外へも、内へもいろんなことやることを積み重ねて、初めて労働者の本当の解放みたいな地点に到達することができると思うんですよ。職場に依拠すれば、必ずどこかで穴を開けられる。突きぬける、そういうのがあると思います。

 小林多喜二の小説で、舞台は北海道の石狩川だと思ったな。そこの農民が土地を地主にとられて、町に出て工場に就職したら、機械に巻き込まれてノシイカみたいになって出てきたという表現があるんだよね。これは1910年代に書かれた小説だけど、今ワーキングプアや貧困で毎年3万人の自殺者が出る状況で、百年前の労働者の現実と、尼崎事故で当該運転士1人だけが慰霊の列から外される―労働者がそういう扱いを受ける現実と、どれだけ違うのか。やはり資本主義が資本主義である限り、その本質は変わらないと思う。

 職場生産点に依拠する
 労働運動というのは、職場生産点の1人1人の労働者に依拠する、船橋事故闘争みたいに労働者が納得できる課題、そういうものを愚直にやることの積み重ねの上にしかできないと思う。

 動労千葉は小なりと言えども唯一分割・民営化反対でストライキを打てた。それは、原則的な闘いを職場生産点で積み重ねてきたことがあって初めてできた。動労革マルと対決して、ほぼ丸ごと1400人で分離独立することができたのも、労働者が本当に困っている問題に職場できちんと正面から向かい合うことの積み重ねの上で初めて可能だった。原則を曲げないで、これだ、ということを積み重ねていく。どんな労働現場だって必ずそういう問題はあるはず。いろんな試行錯誤もあると思いますけれど、ブレそうになったらいつも基本の原則に修正していく、そういう闘いを愚直に積み重ねていくことだと思います。

 闘う労働者の隊列を
 最初はあんまり気が進まなかった話をしているうちに、いい機会を与えてもらったのかなという気がしています。私は職場のオルグで何回もはね返されたけど、最後には結構多くの人が三里塚まで出てくれるようになった。マル生の時も分割・民営化の時も、このまま渡りきれるか、大変な不安もあった。だけど、団結を守って今日まできている。これまで闘ってきたこと、この先に労働者の未来があるといういうことを話すことができる。この先、次の世代がこうした話ができるような運動体、組織であってもらいたい。そのためには動労千葉と同じような闘う労働者の隊列がちゃんとあることだと思う。そこに向けて6・13でひとつの出発点、橋頭堡を作りあげた。ここにかけて、交流センターとか三労組共闘、11月集会とか国際連帯も含めて、みんなで盛り上げてもらいたいと切実に思います。
 質疑応答の中から】若い力
 さっき1つだけ言い忘れたことがあります。やはり闘争をワーッと盛り上げるのは、若い力。闘争目的がハッキリしていて、最終的には組合の方針でやるということがきちっと押さえられていれば、そういう突っ走る若さが絶対に必要。船橋事故闘争はどこで火がついたかといえば、70名の職場の順法闘争。やる前は当局も70人で何が出来るんだと軽くみていた。そういう状況を職場から突破しちゃった。そういう雰囲気ができると職場の力関係が一変する。

 だけど順法闘争が出来るようになったのは70年位から。私が支部の役員になった頃は、ストライキやってもまだ脱走する奴がいっぱいいた。公労法で3公社5現業のストライキが禁止されていたから、処分を恐れて、特に年輩者を中心になかなか参加しない。だけど船橋事故闘争で青年部が突出して順法闘争やって、それでたいした処分もされなかった。それを積み重ねて力関係を作っていって、最終的にはみんなやるようになった。最初はできた支部もあればできない支部もある。そういうことも含めて、戦略的にどう方針を出すかという指導部の姿勢、頭の中と生産点がちゃんとつながっていることが本当に大事なことだと思います。
大失業と戦争の時代に通用する新しい世代の動労千葉を創りあげよう!

7月27日(火)
昼食はイワシ丼 イワシの骨せんべい りっちゃん作・三里塚のポテト
火曜日の昼休みは、「前進」の読み合わせ。毎週、やってます。

『国鉄闘争全国運動は、「4・9和解」情勢という日本労働運動の重大な危機に対して、動労千葉の全力の訴えに、多くの人士、労働組合・労働者が応えてスタートした。』

今が日本労働運動の重大な危機だ!とまず、おさえよう。というところから今日は始まった。
高校野球で例えると、9回裏、2アウト。
皆で円陣を組んで、気合を入れる。
全員が「やるぞ!!」と燃え上がる。大逆転できる!!
そういうイメージで「街」は物販に取り組もう!

①とにかく物販をやる。
②支援する会の会員を作るぞ!
これを職場闘争としてやり抜こう、と決めた。

「物販闘争は支援する会運動の土台をなす闘いであり、同時にたたかう労働組合の新しい潮流をつくりだす基礎的闘いです。そしてたたかう労働組合と日常的団結をつくり出す水路です。物販闘争の位置づけを高め、職場、地域で物販闘争に全力でとりくもう。」

と、2010年度動労千葉を支援する会定期総会の運動方針にあります。
物販の意義を皆が確信して、全力で取り組もう!

目標は、年間100万円。 すでに、目標達成が見えるところまで来ています。
ミョウガ大豊作 3時のオヤツはカキ氷
差入れアイス
夕食は… アジの南蛮漬け なすの炒め漬け
ハマちゃん、ツルちゃん登場 ツルちゃんの絵
 しばし「街」分会・屋内屋台

動労千葉支援する会 2010年度定期総会
7月25日 13時 DC会館

(速報)7月25日、2010年度定期総会が、千葉のDC会館で、動労千葉組合員、支援する会会員など180名が結集し、すごい熱気の中で開催された。各地で続々と結成されている東京関東圏の支援する会、広島、岡山、静岡、新潟の支援する会の代表も参加した。地域、職場での闘い、そして国鉄闘争全国運動の取り組みがつぎつぎと報告された。
総会で決定された2010年度支援する会運動方針

  ◎と き 2010年7月25日(日) 13:00~

  ◎ところ DC会館/大会議室

2010年度 動労千葉を支援する会定期総会

       動労千葉を支援する会10年運動方針案

【1】2009年総会以降のとりくみの経過

 昨年7月20日、2009年度総会をDC会館において120名の参加で開催し、以下の基調を提起したたかいぬいてきました。

①動労千葉の反合運転保安闘争路線に学び、11月労働者集会1万人結集の先頭に立とう!

②4者4団体路線を粉砕し、1047名解雇撤回闘争の責任をとる会に飛躍しよう!

③すべての地域で支援する会を立ち上げよう!支援する会を全国に拡大し、職場・地域の労働者を組織しよう!

 3月4日、足かけ5年のすさまじい闘病のすえ、中野洋動労千葉前委員長が逝去されました。動労千葉は中野前委員長の遺志を引きついで、昨秋より5波のストライキを貫徹し検修・構内外注化4・1実施を阻止しました。そして「4・9政治和解」という1047名闘争と日本労働運動の火が消されるか否かをめぐる情勢に抗して6月13日、国鉄闘争全国大運動をスタートさせました。支援する会は中野前委員長の遺志にこたえるためにも、6・13大集会で呼びかけられた3000名会員の獲得に向けて全力で決起しよう。

1.検修・構内業務の全面外注化阻止、ライフサイクル制度撤廃、10春闘、 反合運転保安闘争などのたたかい
 JR東日本は昨年10月、検修・構内業務の全面外注化を4月1日に実施すると提案してきました。そしてJR千葉支社は外注化を強行するために次々と拠点の幕張支部役員を強制配転し、組合破壊攻撃をしかけてきました。2月1日には津田沼支部滝君に対し、ライフサイクル制度による配転を強行しました。また3月13日には館山検査派出の廃止を強行してきました。

 これに対し動労千葉は昨年10・1、今春2・1~2、3・1~2、3・12~13、3・19~20の5波のストライキを貫徹しました。こうした闘いによって検修・構内業務外注化4月1日実施は阻止されました。またこの闘いの過程で2名の組織拡大を実現しました。

 支援する会はそれぞれのストライキでの総決起集会や幕張車両センター、習志野運輸区前、木更津運輸区前での抗議行動、館山検査派出廃止抗議行動に動労千葉の組合員とともに決起し、総武線沿線各駅での街宣行動を行ってきました。

 また動労千葉と動労総連合は代々木公園において2・13労働者集会を1850名の結集で開催し、JR東日本本社までデモを行いました。

 尼崎事故5周年弾劾、尼崎現地闘争には480名が結集し、事故現場へのデモを貫徹しました。

2.1047名解雇撤回の闘い
 4月9日、与党3党公明党と政府が1047名問題についての「和解案」について合意し、4者4団体がそれを受け入れることを表明しました。「和解案」の内容はカネと引き替えに国鉄分割・民営化を正当化し、「すべての訴訟と取り下げ、今後不当労働行為や雇用の存在を二度と争わない」という受け入れ条件が付されたものでした。しかも、あらかじめ動労千葉を排除することが明記されていました。

 動労千葉は、この和解がより大規模な民営化・労組破壊攻撃の始まりであり、労働運動全体の息の根を止める大攻撃であるととらえ、直ちに声明を発しました。そしてこの攻撃の本質が動労千葉つぶしであり、国鉄闘争の火が消されようとしている情勢の中で動労千葉自身が団結を守りぬくには、あくまで1047名解雇撤回をつらぬき国鉄分割・民営化に反対し闘いつづける新たな全国運動を組織する以外にないと決断し、多くの賛同をえるなかで「国鉄分割・民営化に反対し、1047名解雇撤回闘争を支援する全国運動」を立ち上げました。この新たな全国運動のスタートを切る6・13全国集会(東京・文京シビックホール)が1635人の結集でものすごい熱気の中で勝ちとられました。そして全国各地に支援する会をはじめとした国鉄闘争の共闘組織を立ち上げ、当面3000名の会員を組織しようと呼びかけられました。その中軸を支援する会が担うという大飛躍が求められています。

 動労千葉の鉄建公団訴訟は決定的な段階に来ています。昨年、12月16日の公判で元国鉄職員局補佐で現JR高崎支社長の伊藤証人が「動労千葉12名はじめ本州の不採用者は1987年1月末か2月冒頭までは採用候補者名簿に記載されていた。外すよう指示したのは葛西職員局次長(当時)だった」と証言し、23年目にして重大な事実が明らかになりました。

 次回、7月28日の動労千葉鉄建公団訴訟では田中委員長、高石動労千葉争議団長に対する証人調べが東京地裁で行われます。11時からデモも行います。

 支援する会は公判ごとに傍聴闘争にとり組んできましたが、今後、傍聴闘争への取り組みの強化が求められています。

3.国際連帯
 昨年11・1労働者集会は画期的な国際連帯集会として勝ちとられました。韓国民主労総ソウル本部44名の代表団をはじめ、アメリカからILWU、UTLA、ブラジル・コンルータスの代表、ドイツからも参加が勝ちとられました。国際討論集会、日韓理念交流、日韓解雇者交流会など10の関連企画をやりぬきました。
 また11月7日~10日には民主労総の労働者大会に全国から100名の仲間が参加しました。三里塚反対同盟の萩原事務局次長も動労千葉16名の代表団と行動をともにして、連帯を深めてきました。

 今年6月2日~10日には、ブラジル・コンルータス(全国闘争連盟)の招待を受け、照岡いすみ支部長、佐藤新小岩支部長がブラジルを訪問。200万人を組織する労働組合との新たな国際連帯がスタートしました。コンルータスの大会では動労千葉の参加と訴えが大きな注目を集め、1047名闘争、11月集会をともに闘う決議が満場一致で採択されました。

 また新たな全国運動の呼びかけには民主労総ソウル地域本部傘下の主要産別・労組の代表32人が名前を連ね、米国からもILWUローカル10のジャック・ヘイマン氏が参加しています。
 
4.全国に支援する会をつくろう! 支援基金-会員拡大について
 全国に支援する会を拡大しようという方針の下、一昨年の支援する会広島結成につづき、昨年9月20日、支援する会新潟の結成大会が行われました。つづいて10月3日には静岡で支援する会が立ち上げられ、続々と全国に支援する会がつくられる出発点となりました。

 全国運動が呼びかけられる前日の4月29日には千葉、5月20日に東京・西部で結成集会がもたれました。6・13集会での3000名会員獲得の大方針の下、6月20日には山陰で支援する会が立ち上げられ、岡山でも支援する会が結成されました。6月27日には東京・三多摩で結成集会がおこなわれ、7月21日には東京・北部に支援する会が結成されました。また、7月2日には東京東部で「新たな全国運動東部の会」が立ち上げられました。

 今後、年末にかけて全国すべての地域に支援する会を立ち上げることをめざします。

5.運営委員会の定期開催
 運営委員会を以下の通り、定期的に開催してきました。同時に運営委員会の拡充を図ってきました。現在、事務局も含め20名を超える参加で支援する会運動をどう進めていくか議論しています。毎回、動労千葉から関執行委員に参加していただき、動労千葉の運動方針についても提起されます。

 全国で支援する会がたちあがる状況の中で、運営委員会も全国運営委員会としての飛躍が問われています。また総会のほかに全国の支援する会代表との会合も検討中です。

【2】労働運動をめぐる情勢
はじめに
 6月2日、鳩山政権が沖縄をはじめとした労働者人民の怒りの声で打倒され、6月8日、菅政権が登場しました。しかし、それから1ヶ月後の7月11日、参議院選挙で民主党は大敗し、参議院では与党過半数割れという事態になりました。

 これは、連合を政権内部に取り込むことによって労働者階級の怒りを抑え込み、「東アジア共同体」「新たな公共の秩序」「地域主権」=道州制攻撃―公務員労働者360万首切り、〈究極の民営化―労組破壊〉と〈戦争―改憲〉への道を突き進もうとした民主党・連合政権の破綻を示すものです。つまり既成の政党、連合はじめとした体制内労働運動ではもはや労働者の怒りを抑え、支配することが出来なくなったことを示しています。

 今一番問われていることは、労働者階級の怒りと結合し、荒々しい労働運動の復権を勝ちとる時代がきたということです。すべての核心は、闘う労働組合を歴史の最前線に再び登場させることが出来るか否かです。
 
①世界大恐慌の本格的爆発
 「6月の経済指標が軒並み、予想を大きく下回ったことで、ウォール街の専門家の間では、景気が2番底に落ちたとの見方が広まっている 」(7月6日付ロイター) ―世界大恐慌は、今激しく進行しています。

 米国の財政赤字は100兆円を越え、日本と中国が米国債を大量に購入し続け、FRB(中央銀行)が何の裏付けのないドル紙幣を印刷しつづけています。これは必ず米国債・ドル暴落に行き着かざるをえません。

 EU経済はアメリカ以上の危機に直面し、「事態はリーマン破綻以来の深刻さ」(ニューズウイーク誌)と言われています。ギリシャから始まった財政破綻はイタリア、スペイン、ポルトガル、アイルランドへと拡大し、国債は紙くず化し、それを保有するドイツ、フランス、イギリスなどの金融機関への信用不安が広がり、ユーロ通貨圏が崩壊しかねない事態に突入しています。

 「成長のエンジン」と呼ばれていた中国はどうか。中国バブル経済の崩壊は秒読み段階といわれ、それは「ドバイの1000倍」となって世界を襲い、アメリカ経済・日本経済をも崩壊させ、世界大恐慌の本格的爆発となっていこうとしています。「1%の特権階級に40%の富が偏在」と言われているアメリカ以上の貧富の格差、このようななかで労働者のストライキが激発し、昨年の争議件数は50万件を遙かに超え、すでに強権的に押さえ込むことが出来なくなっています。大恐慌は明らかに新たな段階に入っています。
 
②日本経済の破滅的破産と労働者への攻撃
 日本の国家財政が完全に破綻しようとしています。
 IMFは5月、各国の国内生産(GDP)に対する債務残高の比率を発表しました。日本は昨年段階で871兆円(GDP比189%)に上り、今年度末には227%に、5年後には250%に達すると予想しています。これはギリシャ(133%)を遙かにしのぐものです。

 菅は所信表明演説で「ギリシャに端を発したユーロ圏の混乱に見られるように、公的債務の増加を放置し、国債市場における信認が失われれば、財政破綻に陥るおそれ」「わが国の債務残高は巨額であり、その解消を一朝一夕に行うことは困難」と危機感を吐露し、「戦後行政の大掃除の本格実施」を叫んでいます。

 このような中で菅は6月15日の国会で「私は道州制はやるべきだ、それも『廃県置藩』的な内容で考えている」と全公務員労働者を対象に国鉄分割・民営化型の首切りを宣言しました。民営化、外注化・非正規職化を徹底的に進め、公務員労働者の大リストラを軸に労働運動の解体に突き進もうとしているのです。とりわけ消費税の大増税を公然と推し進めようとしています。

③「4・9政治和解」攻撃の背景
今一度はっきりさせたいのは、国家財政危機、経済危機の問題は、ギリシャに限らず、まず公務員労働者をめぐる問題です。今回の参議議員選挙で焦点になった「消費税10%増税」、これはすさまじい攻撃です。「増税の前に無駄をはぶけ!」と公務員攻撃がふきあれるということです。社保庁解体―民営化攻撃をもって「公務員360万首切り、選別再雇用」、国鉄分割・民営化型攻撃が本格的に始まったのです。だから、敵は国鉄闘争を何がなんでも解体しようとしているのです。「4・9政治和解」攻撃の背景もここにあります。北教組(北海道教組)への攻撃も同じです。北教組も数年前にストライキをやった組合なのです。

 都労連の存在も絶対に容認できません。都労連は賃金闘争と国鉄闘争が実態です。都労連はいまもストライキができる存在です。支配階級からみればこの存在を残したままギリシャ情勢には絶対に入れないということです。国鉄闘争の解体は、完全に都労連解体攻撃になっていきます。すでに清掃や水道、東交、病院などでものすごい民営化・労組破壊攻撃が進行しています。しかし東交で外注化・合理化に対する現場からの怒りが吹き出していることは決定的です。

本当に国鉄闘争がその可能性を発展させてゆくならば、連合は必ず空中分解します。あらためて国鉄闘争の持つ意味、労働組合のもつ意味をはっきりさせて、4大産別で勝負することが重要です。

資本主義の危機が深まれば深まるほど、階級闘争は労働者、労働組合をどちらが獲得するのかをめぐる攻防にいっさいの焦点が絞られるのです。

④中国で、全世界で労働者大闘争が始まった
 大恐慌下において、いま世界各地で労働者大闘争が爆発しています。とりわけ中国での「労働者の大乱」は歴史的な事態です。この「大乱」「ストの嵐」のきっかけは、広東省深センの台湾系大手電子機器メーカー「富士康(フォックスコン)」の青年労働者が相次いで飛び降り自殺したことです。労働者は朝8時から夜8時まで働いて、それから残業という過酷な労働が強いられています。「組立ラインでは12時間立ちっぱなし。たまには部品が落ちた。腰をおろして拾うだけでも至福を感じる。どんどん落として、それを拾いたいのよ」と労働者は語っています。1日15時間労働、女性労働者の月収が5000円強です。そして軍隊式管理支配で、今年に入って13人が自殺し、10人が死亡し、大きな社会問題になり、賃金を30%引き上げました。富士康は世界最大級のエレクトロニクス機器の受託製造企業で、アウトソーシング請負会社です。ノキア、ソニー、アップル、HP、デルが取引先と報道されています。 
 同じく広東省のホンダ系部品工場で大規模ストライキが始まりました。ホンダは完成車工場が操業停止に追い込まれ、24%の賃上げに合意しました。わずか千数百人のホンダ系部品工場から始まったストライキは中国全土に拡大し、トヨタ系の部品工場やブラザーの工場でもストライキが始まりました。日系企業だけでなく韓国系や台湾系の工場でもストライキは起きています。

 トヨタの部品工場のデンソーのストは、工場内で労働者が座り込み工場を停止させるシットダウンでした。1937年アメリカGMフィリント工場のシットダウンを思い起こさせる光景です。ストライキの中心は、1980年以降に生まれた若い労働者、農民工です。8~10人で1部屋の劣悪な環境の寮で生活し、恐ろしいほどの超低賃金で長時間酷使されているのです。まさに帝国主義の新自由主義を支える「世界の工場」の実態です。そして、ついに自殺や過労死が相次ぐ状況のなかで中国の労働者の根底的な怒りが爆発し始めたのです。

 これらのストライキは、総工会という中国スターリン主義の権力機構そのものである官製御用労働組合と対決して闘い抜かれています。いまや労働者の要求は、賃上げではなくて本物の労働組合、自分たちの労働組合、つまり団結することそのものになっています。中国では労働者のスト権は認められていません。ストの要求に独立労組の要求が掲げられると、直ちに警官隊は工場を包囲し、労働者と衝突する事態が起きています。ホンダから始まったストライキの波はドミノのように南部の広東省から中国各地に拡大しています。

 これはものすごいことです。今日の中国共産党スターリン主義がその政治支配を継続しながら、改革開放路線─帝国主義資本の導入を進めていくことができた核心に1989年の天安門事件があります。天安門事件は、改革開放政策によって経済格差が拡大し、官僚の汚職や腐敗が深刻化し、インフレや失業など矛盾が大きくなる中で中国共産党に対する不満が高まる中で起きた民主化要求運動でした。(=『北京の春』)

 民主化要求運動には、学生のみならず、共産党の厳然たる影響下にあると思われていた国有企業労働者や党官僚の一部、農民、ひいては軍隊からも支持者、参加者が登場しました。とりわけ労働者は、党の影響下にあった総工会から自立して独自に「北京工人自治会」など全国の主要都市で自立した組織を結成し、民主化運動の防衛、共産党に対する監督などを訴え、天安門広場ではピケットラインを組織し、北京郊外では軍隊の進入を阻止するために奮闘し、全国各地から結集した学生たちの運動を防衛し、幾度にもわたる巨大なデモ行進のなかで力強い隊列を築き上げ、ストライキの呼びかけを全国に発しました。

 これに対して中国共産党は、「学生のデモに労働者を合流させてはならない」と戒厳令を敷き、6月4日、人民解放軍がデモ隊に対して無差別発砲し、戦車や装甲車でひき殺し、北京で5千、中国全土で1万人が殺されたといわれています。そして6・4「血の日曜日」以降の弾圧はとりわけ労働者階級に対して徹底したものとなりました。90年代半ば以降から本格化する新自由主義政策―帝国主義資本の導入は、共産党による弾圧支配体制のなかで、労働者階級の抵抗をほとんど受けることなく進められてきました。

 学生や青年労働者が団結して闘うということを極限的に抑圧した天安門事件なしに今日のこの中国の状態、中国労働者階級の現状はありません。天安門事件は、物理的強制的な抑圧だけでなく、若者や学生が団結して闘うということそのものを奪う攻撃だったのです。

 ついに、これを打ち破る闘いが中国で始まったのです。ストライキに立ち上がっているのは天安門事件以後に生まれ育った世代なのです。第二の天安門事件となるのか、韓国・民主労総の創成につながった1987年の労働者大闘争となるのか……本当にとてつもないことがはらまれている歴史的出来事が私たちの目の前で始まっています。

⑤国鉄分割・民営化体制と青年労働者
 実は日本も同じです。天安門事件が起きた1989年という年は、総評が解散して連合が結成した年です。
 国鉄分割・民営化攻撃で階級的力関係は激変し、総評というナショナルセンターが解散し、連合がつくられました。日本の労働者から、とりわけ分割・民営化後に生まれ育った青年労働者から団結して闘うということを徹底的に奪い尽くす攻撃としてあったのです。
 終身雇用や年功賃金制の解体、20代の青年労働者の2人に1人が非正規雇用で、正規雇用の半数はほとんど非正規雇用と変わらない労働条件で働いている現実……労働者の尊厳も奪われ、労働者家族も徹底的に解体されました。
 こういう大きな意味での「国鉄分割・民営化体制」を打ち破る青年労働者が必要だし、この日本でも完全に始まっています。何よりJRにおいて、動労千葉に結集した青年労働者を先頭に、JR総連革マルの労働者支配を打ち破って青年労働者が決起を開始していることの意義はとてつもなく大きいのです。

【3】6・13集会が切りひらいた地平
① 新たな全国運動の発展を予感
6・13集会に参加した誰もが、ものすごい熱気や高揚感、新たな全国運動の発展を予感しました。それはひとことで言って、国鉄闘争が本来持っていた大きな可能性を示すことができたということです。6・13をもって国鉄分割・民営化絶対反対、1047名解雇撤回闘争は大きな可能性を生み出しつつ新たな闘いに突入したのです。

 それは、敗北主義に陥って権力に投降しようとする一部指導部が闘争を独占し、政治的に引き回し、現場労働者の階級性や戦闘性を抑圧することを打ち破って、6・13の場にいた全員が国鉄闘争の主体となる闘いの地平をつくりだしたのです。

今回の政治和解の攻撃、国鉄1047名解雇撤回闘争解体の攻撃を過小評価してはなりません。80年代の国鉄分割・民営化攻撃に匹敵する大きさを持つとともに、労働運動の再編攻撃としては、89年の連合結成に匹敵、いや、それ以上の意味を持つ攻撃です。

 動労千葉が労働組合として、この画歴史的な1047名解雇撤回闘争=国鉄闘争の解体攻撃に対して反撃を開始したことが決定的だったことを確認する必要があります。

②攻撃の核心は動労千葉排除。これを打ち破った意義
 今回の政治和解攻撃の核心中の核心は動労千葉の排除にあります。ここを絶対的に見据えることと、これを打ち破ったものは何かを真に教訓化し、総括する必要があります。

2006年2月16日、国鉄分割・民営化から実に19年目にして、動労千葉争議団、国労闘争団、全動労争議団の1047名解雇者全員が団結して集会を準備し、全国に闘いを呼びかけました。1047名連絡会が結成されたのです。これは国鉄闘争を支援してきた多くの労働者が待ち望んでいたものでした。わずか800人の会場に2500人がつめかけました。

この前年に尼崎事故が起きていることです。動労千葉は「労働組合としてどう闘うのか」を深刻に自らに問い、全線区で安全運転闘争に入り、職場で徹底的に闘っていました。さらに、2・16集会の直後の4月6日に幕張で列車脱線事故が起き、動労千葉が一つの歴史を画する闘いに突入していくのです。

 2・16集会では、千葉でのレール破断を告発するビデオが上映され、高石さんが現場の闘いを報告し、「解雇撤回とJRでのストライキと結合して闘い抜く」と感動的に決意表明しました。これが圧倒的に受けて盛んな拍手を受けました。

 1047名全員が団結して闘うことがものすごい高揚をつくりだし、その高揚感がそっくりそのまま、動労千葉に獲得されていくという構図になりました。これが権力と体制内派の強烈な危機感を生み出したのです。これが4者4団体派の登場と動労千葉排除の政治和解の出発点です。

 4月4日、1047名連絡会の陣形で再度の集会が準備され、4600人のすごい結集と高揚を生み出しました。ところがこの集会では、全労連が「動労千葉の発言は認められない」と動労千葉の安全運転闘争の報告と訴えを徹底的に妨害してきました。さらに全労連は「動労千葉は労働組合の仮面をかぶった暴力集団」などと誹謗中傷をくりかえしました。動労千葉の闘いが国鉄闘争陣形を丸ごと獲得することを恐れたのです。この中で1047名被解雇者が前面に立って全国の労働者を組織していくという構造も後退させられてしまいました。

 2000年の完全民営化から一斉に外注化攻撃がはじまり、それと軌を一にして国労の屈服が進行しました。国鉄改革法を認め、JRに法的責任がないことを全国大会で決定するところまで行きました。JR現場でも国労活動家の拠点である保線の外注化を闘わずして容認しました。他方で動労千葉は01年の外注化攻撃の始まりに対して、シニア制度との闘いなど田中体制のもとで厳しい闘いを不屈に闘いきました。
 この中で分割・民営化の破綻の象徴である尼崎事故に対して闘うことができたのは結局、動労千葉だけでした。今日、政治和解派が誰一人として尼崎事故について弾劾できない、口をつぐんでいることは決定な意味をもっています。

 現場の攻防と1047闘争の攻防は表裏一体です。国鉄闘争、1047名解雇撤回闘争の陣形が動労千葉労働運動と結合するかどうかが大焦点になっていました。

 これへの大反動として、「解雇撤回」要求を消し去った4者4団体路線が出てくるのです。4者4団体路線とは解雇撤回をあくまで掲げる動労千葉を排除することだけではなく、国鉄闘争陣形と動労千葉との結合を阻止することにあったのです。だからその意味では、今回の動労千葉排除の政治和解策動は、突然出てきたわけではありません。敵は、動労千葉排除の一点にかけて、数年間にわたって準備し、これで動労千葉を解体しようと狙ったのです。

③ 排除攻撃打ち破った力は外注化4・1実施阻止にある
 このような動労千葉の排除─解体攻撃を打ち破って6・13を成功させたのもまた動労千葉の反合理化・運転保安闘争路線と4・1外注化阻止だということが重要です。
実際に、新たに呼びかけ人や賛同に加わった多くの人びとの展望や信頼をつくりだしているのは動労千葉の反合理化・運転保安闘争であり、何よりも実際に4・1外注化を阻止した「実績」です。
  この「実績」―外注化実施阻止の勝利の地平から、6・13大集会「わたしたちは、本日の集会を出発点として、新自由主義攻撃と対決する新しい労働運動をつくりあげることを展望し、…全国的な運動をつくりあげることを呼びかけます」と訴えられました。

【4】基調
1.動労千葉の反合運転保安闘争路線に学び、11月労働者集会1万人結集の先頭に立とう!

動労千葉の反合理化・運転保安闘争路線こそ、戦後の労働運動の限界を乗りこえ、新自由主義や大恐慌情勢と対決する労働運動です。今一度再確認し、主体的に実践的に学ぶ必要があります。
 
 「4・1外注化実施阻止」、これは国鉄―JRにおける反合理化闘争の歴史に残る歴史的大勝
利です。この勝利の歴史的な、そして現在的な意味・意義をもっと鮮明に捉え、教訓化していく必要があります。
 70年代以降の新自由主義攻撃の典型的かつ具体的な攻撃が民営化と外注化です。民営化もその実態は、外注化と非正規雇用化です。民営化にせよ、アウトソーシングにせよ、それは現場の労働者の団結を破壊し、業務を奪い取り、それを下請、外注会社に丸投げするものです。正規雇用をすべて非正規に突き落としていく、これが「外注革命」の実態です。

 この攻撃は、日本では連合をはじめ体制内の労働組合の全面屈服のもと、公共部門だけでなく、民間もふくめた全産業で90年代以降に猛烈に進められました。

 問題は、この攻撃に対抗し、打ち勝つ労働運動が成り立ちうるのかということです。新自由主義の時代における反合理化闘争の歴史的な突破が求められているのです。

 ここに動労千葉労働運動、動労千葉の反合理化・運転保安闘争路線の決定的な大きさ、歴史的意義があります。鉄道の安全という問題を切り口に外注化攻撃と真っ向から対決し、それを打ち破ったのです。団結を総括軸に、戦術的には限りなく自由自在に展開し、現場の労働者の団結で力関係をつくっていく労働運動。現場の労働者の気持ちや怒りを本当に現実の労働運動としてつくりだす路線。職場の労働者が団結すれば、合理化や外注化は止められる――このあたり前といえばあたり前の労働運動を本当に成立させた動労千葉の労働運動の反合理化・運転保安闘争路線のもつ意味は本当に大きいものがあります。世界の労働組合の注目もそこにあるのではないでしょうか。

 最大の激突地点は職場です。労働者の怒りを結合し団結をつくり、資本の攻撃と対決し勝利できる路線はなにか。動労千葉の反合運転保安闘争路線を学び、職場実践するなかから闘う路線を形成し、団結を強化拡大する―動労千葉労働運動を実践することが求められています。11月集会1万人結集の実現のカギは、困難な道ですがここにあります。

2.「国鉄闘争全国運動」を担う支援する会に飛躍しよう! われわれは6・13大集会を持って、大恐慌下に階級的労働運動を創造する歴史的挑戦を開始しました。その闘いの基本方針・当面する課題は、「全国運動の要綱」、「6・13集会での訴え」で以下のように鮮明に提起されています。

 「新自由主義攻撃への対抗軸となる新しい労働運動をつくりあげること」「全国各地に国鉄闘争の火を燃やし続ける共闘組織を」「動労千葉を支援する会、国鉄闘争支援運動の組織化を」です。

 支援する会は、この提起を真正面から受け、全国運動を担いきる運動体として飛躍しなければなりません。私たちの闘いの物質的基盤は巨大に拡大しています。このことを確認する必要があります。

 6・13に向かって、私たちはものすごい飛躍が問われました。私たちが本当に1047名解雇撤回闘争―国鉄闘争、そして階級闘争に責任をとる挑戦がほんのちょっと始まったにすぎません。4者4団体派や体制内労働運動派が多くの労働者を支配し、闘いを抑圧している現実と無縁・無関係なところでいくら原則や戦闘的なことを言っても始まりません。そういう狭さ、未熟さ、不器用さを克服していかなければなりません。

 まずは一人ひとりが、この全国運動にかけた豊かな内容を自らのものとすること、確信を持って提起できること、それがいっさいの出発点です。その最大の武器が全国運動パンフです。

3.全国の各地に支援する会を立ち上げ、職場・地域の労働者を会員に組織しよう。

6.13大集会前後して支援する会結成集会が次々と勝ち取られています。千葉、東京西部、山陰、三多摩、東京北部、埼玉…。結成集会の何処でも共通しているのは、職場での苦闘、動労千葉労働運動の実践に必死になってチャレンジしていることが報告され、それが集会が大きく盛りあげ大成功に結びつけていることです。支援する会を立ち上げた地区は、6・13以降会員拡大を大きく前進させています。

 6・13大集会で提起された3000会員を実現するためには、直ちに全ての地域に支援する会を立ち上げることが絶対に必要です。会を立ち上げるためには様々の問題や困難もあり論議が必要です。しかし重要なのは、まずは会を立ち上げることを決めること、そこから論議することです。

7月2日 「新たな全国運動 東部の会」の結成集会が70名の結集でおこなわれました。6・13集会のような凄い熱気のある集会だったと報告されています。そのなかで東交の青年労働者は、「東交における民営化・外注化反対の闘いを、東交・動労千葉支援する会の会員拡大と一体のものとして闘う」と宣言しました。

 「職場で闘争を始める」―これは簡単なことではありません。まずは職場で動労千葉の物販をやる、仲間を支援する会の会員に組織する、これは立派な職場闘争です。

支援する会運動は単なる動労千葉支援運動ではありません。職場・産別・地域に、「民営化・外注化と対決し勝利してきた動労千葉労働運動」の旗を立て、闘う団結をうちたて、階級的労働運動をつくりだす、第2、第3の動労千葉をつくることなのです。
 
【5】具体的方針
1.動労千葉支援・連帯のたたかい
(1)動労千葉の反合運転保安闘争、組織拡大闘争に共に立ち上がります。

(2)会員拡大-支援基金運動
全国に支援する会運動を広げ、すべての地域に支援する会をたちあげ、職場・産別に支援する会をつくることを目指します。国鉄闘争全国運動3000名会員獲得の先頭に立ちます。

(3)物販闘争に全力でたちあがります。
物販闘争は支援する会運動の土台をなす闘いであり、同時にたたかう労働組合の新しい潮流をつくりだす基礎的闘いです。そしてたたかう労働組合と日常的団結をつくり出す水路です。物販闘争の位置づけを高め、職場、地域で物販闘争に全力でとりくもう。

(4)1047名解雇撤回-鉄建公団訴訟勝利のたたかい
動労千葉の鉄建公団訴訟や国鉄闘争全国運動を支援する会は担います。

2.11月集会1万人結集へ
(1)動労千葉との交流会を職場・地域でつくり出そう。
(2)青年労働者を中心に労働者学習センターの労働学校への参加を。
(3)動労千葉のたたかいを全国に広げよう。
  ・日刊動労千葉を多くの労働者に広げよう。
  ・動労千葉出版物、労働者学習センターブックレットを広げます。
    とりわけ『新版甦る労働組合』『俺たちは鉄路に生きる』シリーズについて全力で広げます。
  ・動労千葉のたたかいのビデオ上映会を組織します。
(4)国際連帯のたたかいに決起します。

3.組織強化-拡大
(1)運営委員会の強化・拡大を
(2)職場・地域に、全国すべての地域に動労千葉を支援する会をつくり出します。
(3)支援する会ニュースの活用と充実

ストライクフリーダム広島大学!
ただいま広島大学にて、新入生の強い要望(思いつき)により図書館の壁面を使っての
「全学連訪米DVD」上映を行っています。

フリーダムすぎるぞ広大!
空港会社が市東さんの農地をフェンスで囲い込む暴挙!
三里塚芝山連合空港反対同盟のブログから転載
7月26日、空港会社は反対同盟が耕作権裁判闘争を闘いぬいているさなかに、市東さんの畑をフェンスで囲い込むという、営農破壊の工事をやってきた。反対同盟と支援連は、裁判から戻るや現場に緊急結集。卑劣な工事を徹底弾劾して闘いぬいた。

 だ  ん   け  つ 2010年7月27日
№418
東京北部ユニオン 「街」分会
関町北4-2-11
市東さん耕作権裁判、
NAAへの怒りが法廷を圧倒
 7月26日、千葉地裁で三里塚芝山連合空港反対同盟・市東孝雄さんの耕作権裁判が千葉地裁で開かれ、団結街道封鎖攻撃への怒りに燃えて、反対同盟と支援の労働者・学生が結集し傍聴席を埋めた。

 この裁判は、市東さんが耕す南台(現闘本部となり)の畑の一部を成田空港会社(NAA)が「不法耕作」と決めつけて提訴し、明け渡しを求めたもの。だが、祖父の代から受け継ぐ耕作地を耕してきた農民を「不法」呼ばわりする資格が1ミリでもNAAにあるのか。買収の事実の長期間隠匿、土地の位置特定のでたらめ、農地法違反の「不在地主」問題など、数々の不法・脱法を働いてきたのはNAA(旧空港公団)だ!

 開廷直後に反対同盟顧問弁護団が立って、NAAがこの裁判の途中でありながら団結街道の封鎖を強行し、市東さんの営農を直接妨害していることを断罪した。

 裁判が進むにつれて次々と破綻をさらけ出してきたNAA側は、求釈明にはまともに答えず、法廷ではだんまりを決め込むという卑劣さだ。旧地主との買収交渉の記録を提出するよう求めたことに対し、NAAは、「担当者だった上原亮治が亡くなったので釈明は不用」と言い出した。冗談じゃない! 担当者の一個人が死んだことが、どうして記録を出さない理由になるのか。傍聴席からの怒りの声で法廷が満たされた。白石史子裁判長は反対同盟側に「農地法違反についてなどの主張を先にやったらどうか」などと水を向けてきたが、弁護団は「NAAにまともな釈明を出させるのが先だ」と一蹴した。

 さらに裁判長が、原告NAA側の準備書面の文意を確かめる意味で「上原亮治が交渉の担当者だったということですね」と尋ねたところ、NAAの代理人弁護士たちはあわててひそひそ話をやり始めた末に「釈明については従来より口頭では差し控えている」と言う。どこまで情けない見下げ果てたやつらだ。傍聴者からの弾劾の声は特に、かつて千葉地裁の裁判長で今やNAA代理人の頭目に収まる上野至に向けられた。恥を知れ!

 次回期日を10月18日(月)とし裁判長が閉廷を宣すると、市東さんがつかつかとNAA代理人席に歩み寄り、静かな口調で、だがはっきりと「午前3時にこそこそやるようなまねをするんじゃない。空港会社によく言っておけ」と告げた。NAAの弁護士は脅えた表情で視線も合わせられない。

 弁護士会館で記者会見と報告会が行われた。最初に市東さんが立ち、逮捕から奪還までの過程で受けた支援・激励についてていねいにお礼を述べ「向こうはへたにしゃべるとボロが出るから黙ったままだが、こんな汚いやり方を許さず断固闘っていきます」と決意を表した。参加者は万雷の拍手で応えた。葉山岳夫弁護士を始め弁護団が裁判の解説をして、今後も徹底的に求釈明を行っていくことを明らかにした。北原鉱治事務局長は「今日の裁判は本当にあきれた。徹底的にたたきのめさないとだめだ」と怒りをあらわにした。

 市東さんの農地取り上げに反対する会、動労千葉、関実が連帯のあいさつを行った。動労千葉の滝口誠さんは「米韓合同軍事演習が行われている。JRは指定公共機関であり、軍需物資輸送を拒否すれば労働者の逮捕、解雇などの攻撃が予想される。反対同盟との共闘を教訓として、動労千葉は戦争協力を絶対に拒否する」と鮮明な決意を述べた。最後に司会の鈴木謙太郎さんが「猛暑の中、裁判闘争、現地攻防が続く。体に気をつけてがんばりましょう」と一同の奮闘をねぎらった。

 国家権力・NAAは団結街道の封鎖を強行しながら、見通しも成算も、取りつくろう言葉もないありさまだ。正義は三里塚農民にあり。援農に、現地攻防に、裁判傍聴に駆けつけよう。第3誘導路を粉砕しよう!(TN)

NAAが市東さんの留守中、
畑にフェンス! 徹底弾劾を!
 NAAは7月26日、三里塚反対同盟が市東さんの耕筰権裁判で千葉地裁に結集していることを見計らい、現闘本部となりの市東さんの畑の周囲にフェンスを張り巡らす工事を行った。まさに空き巣狙いと同類のこの卑劣、悪らつな攻撃を絶対に許すな!

 反対同盟と支援連が次々と駆けつけ、工事を徹底的に弾劾した。婦人行動隊の鈴木加代子さんは「この先にはうちの一坪共有地がある。通行権があるんだ。黙ってフェンスで閉ざしていいと思っているのか」と強い怒りをたたきつけた。市東さんの農地を絶対に守り抜こう!(TN)(写真は反対同盟ブログより)


7月26日(月)
夕食用の金目鯛と鯵 アイちゃんから絵本の寄付
夕食は ↑ の刺身 金目鯛のアラの煮付け

 だ  ん   け  つ 2010年7月26日
№417
東京北部ユニオン 「街」分会
関町北4-2-11

三里塚 現闘本部 裁判の
控訴審が始まった
 7月23日、東京高裁で三里塚現闘本部裁判控訴審の初弁論が開かれた。一審の千葉地裁・仲戸川隆人裁判長の反動判決は、三里塚芝山連合空港反対同盟の地上権(土地の使用権)をあらゆる詭弁を使って否定した。だが判決確定を待たずに建物の撤去を可能とする「仮執行宣言」を粉砕したことで、NAA(成田空港会社)は追いつめられ「仮執行を早く東京高裁が出してくれ」などと泣きついている。絶対に許さない!

 この日反対同盟と支援連の労働者・学生は、早朝から霞が関の裁判所前に詰めかけ、「現闘本部を守り抜こう」と大書した横断幕を掲げ、ビラまき・宣伝活動を行って意気高く法廷に臨んだ。

 書面の確認後、北原鉱治事務局長と萩原進事務局次長がそれぞれの陳述書を読み上げた。北原さんは「重要な証人の調べや建物の実地検証などを行わないまま審理は打ち切られた」と一審判決を批判し、土地を提供した石橋政次副委員長(当時)が1985年に三里塚を出て行くときも、「敷地20坪と井戸は反対同盟のために残す。これが俺の気持ちだ」と語ったことなどを明らかにした。さらに井上繁規裁判長を見すえ、「現地調査を行え」と迫った。萩原さんは、仲戸川判決が「反対運動では無償の土地使用はたかだか使用貸借関係で、地上権の設定ではないのが通常」と根拠もなく決めつけたことを弾劾し、石橋恵美子証人にビデオリンク方式でうその証言をさせて地代の領収証などの証拠価値を否定したことに怒りを露わにし、証拠調べのやり直しを求めた。

 二人に続いて葉山岳夫弁護士を先頭に顧問弁護団が次々と立った。農民の農地を奪っての成田空港の建設がそもそも違法であり、暫定滑走路は航空法や世界の常識に反する違法のかたまりであること、地代の受領を石橋武司氏(政次氏の息子)が「内心では拒否していた」との珍無類の解釈は意味をなさないことなどを、次々と暴き追及した。反対同盟と弁護団の奮闘に呼応し、傍聴の労働者・学生も法廷厳戒態勢を突き破って、拍手し声を上げて闘った。次回は11月5日。

 閉廷後、弁護士会館で記者会見と支援する会の報告会が開かれ、一審判決を覆すための法廷報告と活発な質疑が行われた。最後に萩原さんがまとめの発言に立ち、「千葉地裁の法廷であれだけやりぬいた実績をこの東京高裁でもう一度つくり上げる覚悟で闘い、権力を圧倒する陣形を拡大しよう」と訴え、大きな拍手で確認された。
7月26日(月)、市東孝雄さんの耕作権裁判(千葉地裁午前10時半開廷、1時間前に集合)の傍聴・支援に結集しよう。現地行動・援農に駆けつけ、反対同盟とともに闘おう。第3誘導路を粉砕しよう!(TN)

炎天下、渋谷駅前での安保・沖縄署名に青年・学生が続々呼応!
 35度超えの真夏日が続く7月24日の土曜日、「とめよう戦争への道!百万人署名運動」呼びかけの東京・統一街宣が渋谷駅ハチ公口で行われた。18日の池袋駅東口に続いて7月はこれが2回目。普天間基地撤去・日米安保反対の署名が呼びかけられ、「8・6ヒロシマ大行動」や「8・15労働者市民のつどい」のビラが配られた。署名が置いてある机に歩み寄って自ら署名する青年労働者や学生も多く、3時間で180の署名、1万6千円のカンパが寄せられ、労働者・学生・市民の反応の高さを示した。

 この2回の街宣には6月に出会った青年労働者も決起。果敢にアタックして20の署名を集めた。

 沖縄県民を欺いて、普天間の辺野古移設=新基地建設を推し進めようとする菅・民主党政権への怒りも全国的にますます高まっている。また、米韓合同演習に自衛隊の幹部が参加していると話すと、戦争の切迫性に危機感を抱く労働者もいた。

 参院選後の渋谷街宣で感じたことは、沖縄・安保をめぐる青年・学生の反応が高いこと、署名などの行動方針を求めていることだ。沖縄―本土を貫く労働者・学生・市民の団結と連帯を真剣に訴え、組織しようとしている運動体は他にない。

 7~9月は安保・沖縄闘争の決戦過程そのものだ。街頭宣伝にどんどん出よう。職場や学園で署名を訴えよう。今が行動の時だ、と実感させる街宣だった。(KZ)

7月25日(日)
冷蔵庫、一掃の夕食。明太子のパスタ 柚子胡椒の生パスタ
本日の広島大!
3・14法大弾圧を許さない法大生の会のブログから転載
昼休みに集まった処分撤回署名は6筆!!
現在、広島大で120筆です!
本日の広大生の演説
8月6日は広島へ行こう!
ども。
3・14法大弾圧を許さない法大生の会・内海です。

只今、8・6ヒロシマ大行動に向けて広島大学に来ています。

キャンパスに入ると、即座に巨大な「8・6ヒロシマへ!」の立て看板が!

やはり大学はこうあるべきですね。
学生が自由に政治主張をできてこそ、正常なキャンパスってものです。
他大学に行くと、改めて法大キャンパスの不当性がはっきりさせられます。

広島大学では法大の「不当処分撤回」署名がすでに100筆以上集まっています。
全国大学的にも、不当処分に対する怒りがガンガンに寄せられています。

「処分撤回」署名を全国で10000筆集めきろう!!

法大生・全国大学のみなさん!
8月6日は広島に是非集って下さい。
反戦・政治闘争を爆発させ、キャンパスを学生の手に取り戻そう!!

 

90年代とはいかなる時代か

●80年代に起こった出来事が、
すべて90年代を予測している

●90年代を決する90年闘争の焦点は、
天皇、三里塚、国鉄(JR)

 


 年(1989年)の暮れに、教宣部から「90年代の課題と展望」について課題をあたえられ、いろいろ頭を悩ましていたところですが、90年代とはなにか? これからの十年を見通すのは非常に大きな課題でむつかしい。

 しかし、12・5スト、1・28ストを、みなさんとともにやりぬいて、ここをついていけば「なんとかやっていける」という感触をつかみました、今日は二つのストの総括を中心にしてしゃべっていきたいと思います.

 90年代とは、20世紀最後の十年間ですね、あと十年で21世紀に入るわけです。
 1945年に第2次大戦が終わってから、45年間続いた戦後の世界支配体制が、大きく崩れはじめる時代が90年代です。
 当時、アメリカのルーズベルト、イギリスのチャーチル、ソ連のスターリンが、ヤルタで会談をしまして、戦争後の世界の支配のあり方を決めた。それがヤルタ体制ですね。

 アメリカとソ連を中心にした世界の支配構造が、それ以来いろいろあっても、米ソを基軸にしてつづいてきた。それがわれわれが住んでいる世界です。90年代は、それが崩れる時代というのが特徴だと思います。

 89年、この一年、世界中で体制の存否にかかわるようなことが、つぎつぎと起こった。それが90年代を予兆していると思います。80年代の前半をみてみると、新保守義といわれる日本の中曽根、アメリカのレーガン、イギリスのアイアンレディ《鉄の女》のサッチャーなどタカ派といわれる人物が台頭し、いままでにない政治のやり方をやった。

 ところが後半になり、87年10月ニューヨーク市場のブラックマンデー、株の大暴落が起こった。ちょうど今から60年前に二九年世界大恐慌があり、それから10年後に世界大戦が爆発した。.この29年のアメリカ大統領の年頭教書では、「マルデン、エイジの到来」黄金の時代などと言っていた。それが舌の根もかわかないうちに、その年に株が大暴落した。いまの日本、かってない高景気などとていっているが、いろんな問題をかかえ、いつぶっ潰れるかわからない。87年10月に、現実に株暴落が起こったではありませんか。

 いま、アメリカを中心に帝国主義諸国は、深刻な経済危機が進行している。世界最強のアメリカが、世界最大の借金国になっており、さらに双子の赤字、貿易赤字、財政赤字もまったく打開できない.ジャパンマネーでやりくりしている現状で、いつ破綻するかわからない。

 世界経済は、いままでIMF体制としてドル中心の仕組みが、つづいてきたが、いま92年にはEC経済統合がいわれ、日本ではアジア太平洋経済圏づくりがいわれ、経済の分裂化、ブロック化がすすんでいます。天安門に対し日本があんまり言わないのは、そういう現状のあらわれだと思います。

 その一方、いわゆる社会主義体制、と言っても、似て非なるエセ社会主義。私はそれをスターリン主義体制と言いますが、あれは社会主義ではない。あんなのが社会主義なら、いやになってしまう。このスターリン主義体制が、89年になって一気に崩れはじめた。

 ソ連のいきづまりから、ゴルバチョフのペレストロイカ政策をきっかけに、ポーランドや中国で「改革」がはじまった。ところが中国では鄧小平が天安門の学生や市民を天虐殺し、のりきろうとしている。だがヨーロッパではそうはいかない。ベルリンの壁が一挙に崩壊し、誰もが予測しなかったことが起こった。とうとうルーマニアの民衆闘争が起こり、スターリン主義政党がたおされた。こんなことが89年の後半、ドラスティックに起こっている。

 日本やアメリカは「社会主義はダメ、自由と民主主義の勝利」などと言ってるが、そうではない。東欧の事態をみて深刻に受けとめているのは、日本、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスである。なぜかというと、アメリカとソ連の世界体制は、相互に依存し、からみあって支配しているから、片方の足が崩れていくから影響を受けないはずがない。

 ルーマニアをみても、銃をバンバン撃っているところへ、非武装の民衆がたちむかっていく、そのうしろから国軍がチャウチェスクの秘密警察を撃っている。市民が楯になってたたかっている。すなわち民衆がたちあがり、上からのペレストロイカではなく、明らかに下から労働者が中心になって、生命もおそれず、スターリン主義打倒にたちあがっている。

 これはブラックマンデー危機にさい悩まされている帝国主義国においても、深刻な危機として進行していくことは、まちがいない。こうしたことが、世界中でいっせいに起こっている。みんな共通していることです。

1989年1月
・ 天皇死亡。「平成」に改元(7日)
・ アメリカでブッシュ大統領が就任(20日)
1989年2月 「大喪の礼」
1989年4月
・ 消費税制度が税率3%で導入開始(1日)
・1989年6月・ 宇野宗佑 首相内閣が始まるが、スキャンダル発覚のため 69日間の短命内閣に終わる
・ 「天安門事件」中国の天安門広場で民主化要求運動の学生に対して政府人民解放軍が武力での制圧
1989年8月・ 海部俊樹 首相内閣が始まる(9日)
1989年11月
・ ベルリンの壁の撤去が始まる(9日)
・ 日本労働組合総連合が発足(22日)
1989年12月
・ アメリカとソ連の冷戦終結(2日)
・ ルーマニアのチャウシェスク独裁政権が崩壊、大統領と夫人が処刑(25日)

中曽根の戦後政治の総決算
 日本ではどうか、82年に中曽根が登場して、戦後政治の総決算を呼号し、行政、財政、教育の改革を言いだした。明治維新以来のことがおこるから、不退転の決意でやると。

 みなさん、ご承知のとおり、戦前の日本は天皇制軍国主義の時代で、治安維持法があり、特高警察の大弾圧のなかで、言論の自由もなにもなかった。戦争に負けて、日本国憲法ができ、日米安保条約ができ、労働組合も合法化され、平和と民主主義ということで、戦後の意識やあり方がつくられてきたのです。平和と民主主義というこの二つは自民党でも文句が言えなかった。それを中曽根が平和と民主主義の戦後の意識をたたきつぶす、と言いだした。

 財政再建、国鉄改革が叫ばれ、82年から87年まで5年間にわたり、国鉄分割・民営化の嵐が吹き荒れた。

 はじめは国鉄・財政再建などと言っていたが、いつの間にか国鉄改革と言いだし、国鉄は20数兆円の借金だらけ、利息が年に1兆円以上とか、ヤミカラ、サボリの大宣伝をして、世の中をだまし、世論も「それなら仕方がない」と思わして、強行した。この分割・民営化の最大のねらいが、国鉄労働運動の解体であったことはいうまでもないことです。

 そうした渦中で、ブラックマンデーに先行する形で、円高ドル安、株の投機、東京を中心にした土地の高騰がはじまり、他方では造船や鉄鋼の不況があり企業は、為替、株、土地投機にはしり、いわゆる経済のカジノ化、バクチ化がどんどんはじまった。

 最近のNHKの報道でも「ひたいに汗して生産するより、株を買って儲ける、これは危険」と言っている。

 80年代の後半になってくると、税制改革をやりだし、86年のダブル選挙で自民党が304議席をとり、大型間接税はやらないと言っていた自民党が売上税を言いだし中曽根がたおれ、竹下がでてきて消費税をやった。

 リクルート疑惑、ギャンブル化が政界のなかにも、一挙に噴出してくるようになる。だいたい今の政治家は、1年中「カネをどうあつめるか」だげをやっていて、政治や国会のことなど1割もやっていない。そういうなかで、89年の参議院選挙で与野党の逆転が起こった。日本の政治史上はじめてのことが起こった。

 いまひとつは、昭和天皇の死を前後して、またふたたび天皇制攻撃が激化してきています。本島長崎市長が右翼にピストルで撃たれるとか、天皇制のタブー化がジワジワと進行している。天皇制とは、本質的に白色テロの仕組みだと思っています。天皇の名のもとに、何をやってもいいというやり方ですね。

 それは司法の反動化のなかにも、あらわれてきている。まともな裁判なんか、なにひとつ勝てない状況です。動労千葉の2波のストライキに対する公労法解雇、指導責任ではなく現場に公労法解解雇、エスカレートしてきている。日教組裁判にしても、「あおり、そそのかし」を拡大解釈してきている。また文部省の新指導要領、教育改革の反動的エスカレートもみておかなければいけない。

 それから、政治警察が肥大化して、政治公安警察が労動運動とか、左翼とか、三里塚を弾圧する体制をつよめてきている。行政改革のなか各省庁でも自治体、郵政など人を減らし、警察官だけを増やしている。千葉ではとくに500人も増やす、それも公安警察だけというありさまですね。それはそうしなければ支配できない状況になっている。こうしたことが89年後半の特徴だといえます。

労働運動はどうか
 中曽根の戦後政治の総決算攻撃の最大のターゲットは、総評でありその中心の御三家の国労、日教組、自治労をねらった、とりわけ国労を狙った。総評をつぶすということは、いわゆる五五年体制をつぶすということです。五五年体制とは、保守が合同し、日本生産性本部がつくられ、自民党・財界ブロックがであがる。他方では、左右の社会党が統一し、社会党・総評ブロックがつくられた。この体制か高度成長経済を下支えしてきたのです。

 総評は、高野事務局長から太田・岩井体制となり、地域ぐるみ闘争よりも産別中心の経済闘争・春闘を軸にする体制になった。社会党の選挙をみればわかるとおり、総評・労組依存であり、いまでも地方や地域では社会党・総評ブロックはつよいですよ。この社会党・総評ブロックを解体して、右よりにしていく、自民党の手の内にする、これが中曽根のねらいだったわけです。

 国労解体は、その中心だったわけで、だから国労がどんなに「ゆずっても」敵は手をゆるめない。後退に後退をかさね、一発のストもうたず国労は「全部のんだ」。しかし敵は許さなかった。ここを読みきれなかった国労幹部は、ちょっと問題がある。

 だからダブル選挙のあと中曽根が「55年体制はつぶした。これからは86年体制。左へウィングをのばした」とさかんに言ったのは、社会党・総評ブロックを右にとりこんだということなんですね。82年の中曽根登場と全民労協発足、87年分割・民営化と全民労連発足。89年総評解散、新連合発足をみれば、敵のねらいがよくわかる。敵はこの10年間90年代を「展望」してやってきたといえますね。

動労千葉のたたかい
 動労千葉の80年代のたたかいを考えるとき、なんといっても大きいのは、79年の動労「本部」からの分離・独立だと思います。これに勝ちきったからエネルギーと路線を確立し、80年代をたたかいぬくことに成功したと思います。

 そして、81年早くも三里塚・ジェット燃料阻止闘争、六日間のストライキ、85年86年にかけて国鉄分割民営化反対のストライキを、日本労働運動のなかで唯一やりぬくことができた。そして89年の最後の段階で、12.5ストをやった。これは運転保安確立のたたいですが、本質的には分割・民営化体制、JR体制打倒闘争として、しめくくることができたし、団結を強化することに成功した。

体制の全面崩壊の時代
 80年代.とりわけ89年に凝縮して起こったことから判断すると、総じて90年代は戦後の枠組みが、全面的に崩壊することになることはまちがい。東欧で起こっていることも、トコトンいきつくところまでいきつくしかない。さらに、アメリカによる体制もいまのままではいかない。92年にはECの統合が射程距離に入っており、日本とアメリカの経済対立もこのままではすまされない。

 だから、何が起こってもおかしくない時代、何が起きるかわからない時代、われわれは何が起きてもビックリたまげない。本質的には戦争と革命の時代だということです。

 だから、たしかに敵のやり方は強権的であり凶暴だが、他方ではものすごい脆弱性をあわせもつ支配体制だといえます。いわば、決め手のない、説得力のない、内部に矛盾をかかえた、弱さをもった体制だといえます。

 JRがいい例です。松崎という革マルをパートナーにしている。こんな企業は他にない。だから非常に強権的で凶暴だが、弱さをもっている。革マルをパートナーにしたということは、国労や動労千葉をつぶす、ストライキをやらせない、ということであって、連合にしてもそうでしょう。「ストを忘れた組合」づくり、首切りを容認する組合なわけ。

 松崎は、自民党からJRでストライキを起こすなと、引導をわたされている。だから松崎は全国をかけずりまわり、いろんなことをやってるが、ガラスのようなもろさをもっている。現にストライキが起こり、事故が続発している。JRと松崎はいろいろ説明しているが、ぜんぜん説得力がない。

 だから、いろんな矛盾が噴出している。分割・民営化のときは、あれほど強権的にやった権力が、参議院選挙でバタッといく、衆議院もどうなるかわからない。そうした状況になってきている。これは支配のぜい弱性ですね。自民党だって金属疲労がきている。

 アメリカにしても、ソ連にしても、あれだけの軍事力をもちながら打つ手がない。アゼルバイジャンやバルト三国にしても打つ手がない。アメリカのパナマヘの軍事介入、あんな大国が小国に軍事力をふるう、もう落ち目の最たるものですよ。.これが特徴ですよね。

 もうひとつ忘れてならないのは、80年代において、労動運動が大変な後退をしていることです。たとえば労働条件、権利の問題、「過労死」なんてことが起こってきている。働き過ぎで労働者が死ぬ、こんなことがはじめて、80年代の末に登場してきた。労働者がこきつかわれ、それを団結してはねかえす労働組合がない。いままで日本の大企業は、本工組合を労資協調にとりこみ、合理化なんかあっても下請けを切ってきた。80年代の特徴は、本工をどんどん切る。鉄鋼、造船、自動車、電機などトップ企業で、40才以上が出向という名の首切りが、あんまり騒ぎにならないでやられてきた。

 80年代はいままでにないやり方で、敵は連合の結成のように「思いどおり」にいった面もある。しかし、やればやるほどいろんな矛盾がでてきている。これが、80年代の特徴。これが90年代には、一挙に矛盾が噴出すると、私はおもいます。

12・5ストと1・18ストの意義
●動労千葉80年代闘争のけじめと
 「連合」下におけるJR体制打倒にむけた総反攻の闘い(JR発足以来 はじめての本格スト)

 われわれ国鉄労働者にとって、国鉄をめぐる攻防局面がいかなるものか、まずはっきりとつかむ必要があります。12月5日のスト、1月18日のスト、1ヵ月ごとにストライキをやった。2、3年まえには考えられないようなことが、やりぬけたということは、やれる情勢が到来したということであって、われわれがストをやりたいからやったわけではない。

 ストをやるということは、簡単なことではない。スト権があろうがなかろうが、大変なんです。それがやれたということは、客観的に機が熟してきた、そういう情勢、そういう条件が到来したということなんです。

 JRの危機がスト情勢を生みだした
 その条件のひとつは、分割・民営化の大義名分であった長期債務の未解決、長期債務24兆円の問題です。年に1兆3千億円も利息が増え、いまや27兆円にもふくれあがっている、土地も基本的に売れず、債務が返済できない、まったく解決できない状況になってきている。

 国の政策で借金の返済方法を決めたにもかかわらず、3年もたって、何も解決できない。これは政治責任が問われますよ.いまはあんまり問題になっていませんが、いまに問題になりますよ。

 いったい分割・民営化して、どうなっているんだと、これは大変な問題として敵の側に、くいこまれていきますよ。まちがいなく。だから、いまの方法は、株式上場して借金を減らしていく、これがある意味では唯一の方針。だがうまくいくのか? 必ずしもうまくいかない。

 その最大の問題は、各地方労働委員会で67の救済命令がでて、ぜんぶ労働組合側が勝っている。不当労働行為は法律違反ですよ。これは企業にとってダーティーなイメージを与えている。JR東日本8万人、大企業ですよ。

 これが、労働委員会から、不当労働行為をやっていると、67も命令がでる。こんなことは戦後の歴史でもない。大企業というのは、あんまりそういうことは起こらない。中小零細で起きることですよ。組合つぶしの不当労働行為なんてのは、つまり、JRは法律違反者、違反企業です。しかも株は清算事業団、いわば国が持っている「国営」の企業でしょう。それが不当労働行為、法律違反をやっている。

 このダーティなイメージでは、大変なことですよ。たしかに中労委や裁判の制度もある。しかしJRの松田とか松崎なんかが、「地労委と対決する」とか、「十年戦争だ」なんてことをいってますが、労働委員会は第三者機関、公的機関です。何を寝ぼけて言ったか知らないが、まったくJRは、世の中の常識がわかってないですよ。そんな会社の株がいい値をつけるはずがないですよ。

もうひとつデッカイ問題は事故ですよ。一昨年の12月5日の東中野駅事故、その年の夏ごろから上越線、東北線で事故が起こり、JR発足後一年ちょっとで「JRになって事故が減った」などと言えなくなった。国鉄時代には考えられなかったような事故が続発している、昨年になって、もっと続発している。

 この特徴は貨物の事故だということですね。なぜかというと、貨物会社は旅客会社の線路を借りて、その指令を受けて走らせている、貨物には独自の指令がないということです。正常に走っているときはいいが、何かあると、どこを走っているのか、わからなくなる。旅客会社の指令は、自分のところを優先してやるから、考えられないような貨物の事故が起こっている。

 だから、動労千葉はJR東日本や貨物会社にたいして、貨物専用の指令を要求していく、これは正しいと思います。
 いま旅客会社では、貨物のことを知らない。たとえば、ホースの結び方を知らないとか、電車運転士の養成者が貨物機関士を養成するなんて、おかしなことをやっている。たった3年足らずで、これだ.深刻ですよ、5年たったらどうなるか、年がたてばたつほど深刻になる。同じレールを別々の会社の旅客と貨物を走らす、これが事故の大きな原因だと思っています。

 もう一つは滅茶苦茶な合理化ですよ。東中野駅事故にしても、総武緩行線を三分半も短縮するなんてことは、少なくともプロなら考えない。しかし、「一分短縮すれば一億円の宣伝効果」なんて、平気で言う者がいて、その結果として二人殺してしまった。

 「スーパーひたち」もそうでしょう。スピードを上げるためにカント(カーブの外周側レールを高くする)を上げ、走っているときはいいが、もしあんなカントのカーブの所へ止まったら、風が吹いたら倒れるなんてことが、言われている。勿来(なこそ)駅事故はカントが原因でしょう。こういう事故の続発がJR体制の根幹をゆさぶっている、

清算事業団と事故は、なぜ解決しないか

 この二つが、なぜ解決しないか? それはJRのデタラメな労務政策にあります。会社と革マルJR総連が結託して、滅茶苦茶な差別選別、組合

拡大

つぶしをやっているからです。
 たれこみの横行、もの言えば唇さむしの状況をつくっている。これが最大の問題です。いまやJRの内外で「JRの労務政策、やり方はおかしい」と問題になってきています。

 株式上場なんていっても、不当労働行為が地労委で認知される、また、事故がドーンと起きる、どうして株が高く売れますか? NTTみてごらんなさい、最優良企業ですよ、リクルートで真藤会長がやられる、とたんに株が下落する。営業成績がいくら良くても信用が落ちると株が下落する、要は企業の社会的信用問題でしょう。

 松崎あたりが、勝手に夢想して株式上場なんて言ってるけど、企業の中が良くならなければ、世の中そうならないですよ。だから、いまのJRの状況は、われわれにとってチャンスでもあるけれど、企業としても存亡の危機をむかえていますよ。

 たしかに、これだけ「儲かった」なんていってますが、内部には大変な自壊しかねない矛盾をかかえている。このままでは「企業」として崩壊ですよ。

 ある意味では動労千葉のやってることは「愛社精神あふるる」たたかいなんだな、客観的に言うと。(笑い) われわれは、会社をまもるためにストをやっているわけじゃないが、結果としてそうなっている。

 JRをめぐる、こういう情勢をつくったのはなにか?
 それは動労千葉の750名、国労4万名が差別選別されながらも、がんばったからです。国労執行部のていたらくにもかかわらず、現場が国労の旗をまも.ってがんばっているからです。 たとえば、バッジをつけただけで賃金カットされる、国労は犠救しないですよ、幹部は組合から退職金をとって懐に入れて、革同も協会もおなじですよ。だけど現場はがんばっている。

 こんどのストの渦中で、千葉転で、うちへ加入した国労組合員をみてごらんなさい。「おれは国労としてストをやりたい」「金なんかいらない、スト指令をおろせ」という典型的な国労主義者の諸君ですよ。 そういう国労の組合員が四万ものこった。動労千葉ものこった。敵からみれば動労千葉は不倶戴天の敵でしょう。房総半島で静かにしていればいいのに、ストはやる。なにかあるとすぐ騒ぐ、しかし敵はつぶせなかった。

 そういう国労と動労千葉が二年半もがんばってのこった。国労の労働委員会だって成算があったわけじゃなく、それしかなかったからやったにすぎない、たまたまうまくいった話であって、いずれにせよ、がんばる労働者がいたから、JR体制は全体化しなかった。千葉だって、われわれがいたから国労ものこった、そうじやないと全部が鉄道労連になっていたかも知れない。 動労千葉があるから職場で文句が言える、差別だなんだと問題になる。それをみんなが見ているから、JR総連だってときどき、生意気なことを言う。永島(JR総連革マル〉だってそうでしょう。点呼の最中に「ふざけんじゃない」と家に帰ってしまうとか、関係上やらざるをえない状況をつくっている。

 そういう状況、ストをうてる情勢のなかで、われわれの12・5と1・18ストライキが、うちぬかれたということです。JRが順風満帆なら、こんなストにはならないですよ。われわれは犬の遠吠えみたいな時代を、もう少しつづけなければならなかったかも知れない。ストをうてる客観条件があって、はじめて主体のたたかいがあり、主体のたたかいがあって客観情勢をきりひらくという関係です。

 それはJRが3年未満で、「創業」以来の互解の危機に直面している状況があって、われわれがストをやりきれた。そういう客観情勢ということですね。

 89年に「連合」が発足して、階級路線を否定し、資本の手先となって労働者を抑圧し、ストをやらせない、というなかで、われわれのストライキの意義は非常に大きい。しかもその焦点は、清算事業団と運転保安という、ゆるがせにできない決定的な問題をめぐるたたかいである。

 だから、動労千葉のストライキは、JR内の問題にとどまらず、日本労働運動全体を、あるいは政治全体をゆるがす質を秘めた、たたかいである。.このことをしっかり認識していただきたいと思います。

 この闘争は、90年の前半つまり、3、4月、ながくて5、6月ごろまでを、どうたたかうかで、90年代全体を規定する位置をもっている。

  それは三里塚、国鉄、天皇制の問題をみてもそうです。 三里塚の農民が身体をはって、24年間も土地を守ってたたかいぬいている。これは日本の歴史上はじまって以来の大衆的なたたかいです。 だから、全国の地域住民の闘争が、なにかあるとみんな三里塚へくる。青森の核燃や埼玉の新幹線問題、あるいは逗子にしても沖縄にしても問題が起こると必ず三里塚にくる。つまり、三里塚は全人民の共闘と結集のトリデ、天王山なんです。

 ここをつぶさなければ、権力者は90年代の展望がない、どうにもならない。だから成田治安法という憲法違反のやり方で、やってきたわけ。昨年、海部内閣ができて、江藤が運輸大臣になったとき、私は思ったんですよ、超タカ派をもってきたなと。

 やっぱり、成田治安法を適用するとか、清算事業団2千人の首を切るとか、これをやれるのは超タカ派ですよ。江藤が言ってるでしょうよ。「清算事業団、甘ったれるんじゃない」と、平然と言ってるでしょう。それはね、三里塚と国鉄を強引にやってしまわないと、せっかくつくった80年代の仕組み―総評解散・連合発足、矛盾だらけだが崩壊しかねない、そういう危機感としてあるわけですよね。

 天皇制にしてもそうです。2月の代嘗祭とか即位とか、半年ぐら、い天皇、天皇天皇で、やってくる。大正天皇が死んで昭和天皇の即位の礼のときでも、2、3年のあいだ天皇漬けにして、大正デモクラシーの自由をぶっつぶしていった。そして軍国時代、戦争となった。

 これを90年でやろうとしているわけで、だから天皇制、三里塚、国鉄が攻防の焦点になっているわけです。
 ここで決着がつくかどうか、わからないけれど、どんなたたかいを展開するかで90年代は、決まってくる。

 その上で清算事業団と運転保安が、政府・JRにとってアキレス腱になっている。ここを突かれると、痛くてたまらない弱点、そこまで追いこんでいる。敵にとっても、われわれにとっても運転保安、清算事業団は、死活のかかったたたかいになっている。ここをあいまいにしたら労働組合の名に値しない。

12・5ストはピツタリ
 12.5ストについていえば、あらゆる情勢のなかでタイミングが、ピッタリだったわけです。国労は「あの動労千葉がうまくやった」なんて言ってますよ。自分がやればいいのにね。

 東中野駅事故一周年スト。世の中だれも文句を言わない、どちらかと言えば好意的にみている、事故の問題をJRの労資問題にすることに成功した。まさにタイミング、ビッタリですよ。

 事故を労資問題としてつきださないと、事故はなくならない。世の中の人はわからないですよ。ATSなんかじゃわからない。労資の問題は労働者が、一番良く知っている、だから労働者が安全をかかげて、たたかわなければ事故はなくならない。

 12・5だってそうでしょう・平野君が「なんらかの理由で信号盲信」なんて、警察発表どおりJRは言っている。じょうだんじゃないですよ。起こった事故から学ばなければ、事故はなくならない。ダイヤの問題、労働条件の問題、労務政策の問題なんだ。5日のストの朝、トップ交渉のなかで、当局はそれを認めるんですよ。じっさい3月ダイ改で総武緩行をのばすことを検討していた。

 しかしJRは、NHKで報道されたとかなんとか言って、また元にもどすとか言って、三月ダイ改のA(列車ダイヤ)も、B(乗務員ダイヤ)も提案できない。総武のスジ(列車ダイヤ〕が決まったのは一月ですよ。だからBも決まるわけない.ジグザグしている。

 平場の団交では「運転士に責任がある」なんてJRは言ってるけれど、トップ交渉では「ダイヤに問題がある」ことを認めているんですよ。JRのなかでも、運転士を処分すればいい、というレベルじゃ解決しないという認識が、このたたかいをとおして否応なく起こった。

 枠内訓練でやればいい運転法規を、研修会でやるとか、枠内訓練で応急処置訓練ばっかりやっている。仮設(故障個所の設置)発見に、ストップウオッチをもちだすとか、なにをやってるんですか。止まっているとき事故は起きない。走っているから事故が起こる。むしろ走っているときのことを、きちんとやるのが本来の安全対策教育ですよ。

 逆のことをやるから、訓練だって身につかない。運転士を処分すれば解決するわけじゃない。動労千葉は処分カットで、年間50万円も払ってますよ。安全はトータルな問題なんだよ。JRもそれを認め、交渉するというから、「ストを止めてもいい」と言ったんですよ。しかし、ストを中止すると「こまるだろう」と言ったら、「ウン」と言ったんだよね。(大笑い)

 それはそうでしょう。スト破り・要員を動員しているんだから、いまさら止められたら困る。昼から特急を動かしても乗る人もいないし、翌日のやりくりに困る。まあとにかく確認事項をメモ化しようとなったら、「動労千葉の闘争は遺憾である」ときた。じょうだんじゃない。そういうことで24時間うちぬいたわけです。

 ともかく、事故問題を労資の課題として、おしこんでいった.非常に重要な意味をもっていると思います。

清算事業団闘争の核心はなにか?
 いまの清算事業団闘争の最大の弱点はなにか? といえば、労働委員会という第三者機関にすべて依存していること。国労の全面和解方針つまり労働委員会の場でなんらかの和解案をだして欲しい、ということですべてゆだねてしまう。

 だから国労のストも、労働委員会への圧力のストライキにすぎない。かつての春闘で、も公労委に調停・仲裁をもとめるやり方、ストは公労委への圧力でしかなく、自らの力で賃上げをかちとるという考え方ではない。.国労にはそういう発想がのこっていて、2月の末も、3月の末もそういうように考えている。

 したがって、カンパニア主義、動員主義、宣伝主義になってしまう。国労はキャラバンとか、集会とか、座り込みをやっているが、その基本に目分たちの首切りにたいし、自らのカで決着をつけるという考えがない。国労の2、3月の方針がでてきたのは、社会党と総評の関係がなくなり、否応なく自分の力で決着つける方向にいかざるをえなくなったからです。社会党・総評の関係がいままでどうりだったら、こういう方針はでてこない。

 しかし。清算事業団とはなんなのか? 解雇攻撃でしょう。解雇・首切りを受けた労働組合が、自ちの力で本気になって「首切りを許さない」というストライキに、たちあがらなければ、世の中の支持もえられないし、解決する方針もでてこない。これをやった上で、いろいろやればいい、一人でも支援してくれる人が多い方がいいから。

 12 ・5 のストライキは、そういう弱点にたいして、「それでは勝てないよ」、国鉄労働者が立ち上らなければ勝てないよというストライキだった。 その弱点が国労のなかにあるかち、団結していない、清算事業団の組合員は国労執行部や本州にたいし、ものすごい不信感をもっている。

 もうひとつは、清算事業団闘争に勝つためには、清算事業団の労働者と、JRのなかで迫害を受けているJR本体の労働者が、自らの要求をかかげて一緒になって決起するということをやらなければ、絶対に勝利の展望などでてこない。これが動労千葉の主張です。

 動労千葉の場合には、反合・運転保安だし、強制配転者の原職奪還だし、運転士登用の差別選別を許さないたたかいなんです。そういう一体となったたたかいでなければ、敵を圧倒する迫力ある、熱気あふれるたたかいを展開できるはずがない。われわれは、それを12・5ストにこめてやりぬいた。
 このストは全国に大変なインパタトをあたえ、国労の清算事業団が、あれで固まった。

 もうひとつは、われわれ12名、全国2千名、国労組合員が圧倒的に多い。千名の清算事業団が、そのまま前進していくという構造をつくらなければ、十二名なんか切りすてられていく。この構造でがんばっていくことによって、清算事業団問題の決着をつける展望、これが戦略なんです。

 12・5スト、北海道、九州で拍手喝采ですよ、「国労がやれないことを動労千葉がやってくれた」と。だから政府が11月21日に「再就職」案をだしたが、誰も応じなかった。

 そういう効果、たたかいとはそういうものなんですね。12月5日のストは、なにがとれたか、とれなかったではない。決着がついたかどうかではなく、決着をつけていく仕組みを、体制をどうつくっていくかです。そこがストライキの総括ですね。

 そして12月5日のストは、国労の1月18日のスト方針をひきだした。国労のなかに「動労千葉の12・5ストの成功にふまえて、国労は1月18日本線乗務員の24時間ストライキをやることを決定した」と説明している。

 なぜ1・18ストか
 12・5の後、次は2月末か3月と、みなさんは思っていた。1月は少しゆっくりできると思っていた。ところがどっこい、正月明けに18日スト方針がだされ、びっくりたまげた。各支部で「急すぎる」「やりすぎ」「唐突じゃないか」と。

 急すぎたことについては。執行部として深々とみなさんに.おわびしなければならない。しかし、18のストは国労が12月22日の戦長会議で決めたことであって、それを知ったとき動労千葉は、国労が乗務員の24時間ストをやれば、うちの組合員が特休呼びだしとか、B変仕業とかやらされる。否応なくストをかまえざるをえないと、こういうレベルで考えていたわけです。

 しかし、よくよく考えてみると、国労の全面和解方針というのは、中労委にあっせんを求めているわけで、中労委に時の氏神になって下さいと言ってるが、なるわけない。67件の勝利命令といっても、清算事業団、出向・配転いろいろある。結局どこかを入れて。どこかを下げるという話になるわけ。半分半分にするか? 三分の一にするか? 国労が引き下がるという話になる。それで労資関係が安定すればいいなんて感じ。

 国労は北海道と九州で少し穴があけば、本州をきりすてる方向で動いていることは、はっきりしている。これは政府も、JRも、清算事業団も、国労もそうです。とすると動労千葉は、いったいどうするのか?

 動労千葉の12名は本州だ。今回も「採用」お呼びでない。国労の方針で、2月、3月末とストにつき合っていたら、われわれの「現職にもどせ」という要求は、全然関係のないことになる。本州きりすてのためにストライキをやることになってしまう。

 だから、動労千葉独自のたたかいが必要、1月22日の期限切れ前に、「本州にも清算事業団がいる!」「北海道、九州だけでなく、本州からも採用しろ!]と。焦点は現地採用であって、九州は九州、本州は本州、北海道は北海道、ここに敵が一番抵抗している、絶対に採用しない。

 そうであるなら、一番受け皿がある本州JRに、本州130人を本州に現地採用させることを突破口にして、北海道、九州へ広げていく戦略をもつことが正しい。その立場にたっためには、18日に国労と共闘体制を組んでたたかわなかったら、われわれの2月、3月闘争はない、という判断をした。

 国労幹部の思惑はいざ知らず、現に革同日共系は18日ストをやめることすら考えていた。しかし現場では、千葉のように国労組合員がストを要求し、スト破りするくらいなら動労千葉にいくという情勢が生まれ、国労はストをやらざるをえなかった。

 しかし、よくよく考えてみると、18日はタイミング的に非常に重要だと、効果的だという判断にたったのが暮れから正月にかけてですね。

 動労千葉の12名の仲間をとりもどすたたかいを、どうやったらいいのか?いろいろ考え、悩んできた。そういうなかで1月4日の執行委員会で、18日にやろうということになった。いろいろ激論をかわし、やはり国労に合わせるというのでなく、動労千葉としての清算事業団闘争を18日ストとして、積極的に位置づけた。

 さらに、暮れの27日に定年制の延長が提案される。

 津田沼の浜野支部長に年明けにも、不当処分という情勢のなかで、1月18日をきちっとやろう、ということになった。
 だから、動労千葉の清算事業団闘争であって、国労の全面和解方針と断固対決するストライキであった。その核心は、本州の原地採用を突破口にして全国に拡大する方針が、一番正しいということを明らかにしたたたかい、本州きりすてを絶対に許さないたたかいだったのです。

 国労と共闘しようと話し合いもしたけれど、ウンウンというだけではっきりしない、要するに動労千葉と共闘したくないのだ。旗びらきでエールの交換しようと提案しても、国労は拒否した。なぜなら国労の全面和解方針が、本州きりすてだから、動労千葉と共闘できないということですね。

 国労は全動労に共闘を申し込んで、断られている。しかし、われわれには共闘の申し込みすらしなかった。われわれと共闘しなければ、困るのは国労のほうだよ。動労千葉がどんどん方針を決めていけばどうなるのか.たとえば2月下旬に清算事業団24時間、3月ダイ改で24時間と、48時間かまえたら国労はこまるでしょう。津田沼や千葉転みたいなことが、また起こりますよ。「スト破はいやだ」と。

 共闘をかたくなに拒否するなら、話し合いを続けるだけではマンガになる。それなら、われわれのやり方で実力で共闘をつくっていくしかない。その方向で事態はすすんでいます。

諸悪の根源はJR・革マル体制
 こうした問題を考えるとき、何が一番問題かというと。JRと革マルJR総連との結託体制、これがいっさいの元凶、諸悪の根源だということですね。清算事業団の問題も、事故の問題も、士職の登用、強制配転の問題もすべて、この結託体制に原因がある。

 この体制をガタガタにすろことが、当面する最大の目標があります。ここをつき崩す度合に応じて、われわれの要求も前進する関係にある。

 いま、かれらは内部対立と矛盾の噴出に、さい悩まされている。とくにJR東日本、とりわけ松崎のもとに集中している。1年目にJR総連内の社会党系の役員を全部外した。2年目になると民社系鉄労をぜんぶ外し、統制処分だ除名だなんて言っている。表現の自由もない、動労時代の革マルそのもの、異をとなえると組織破壊攻撃に手をかした、となるわけ。だから、JR総連は革マルだけ、少し自民党系の鉄労がのこっているだけ。本来の鉄労系はもういない。外された連中が春から夏に動きだすなんてウワサがある。しかし悲しいかな、連中は当局を頼りにして、自分の力で革マルと対決するのではないところに問題がある。こんどJR総連が、自民党を13人すいせんしていますが、11人が東日本なんです。千葉の林大幹に年金で世話になったとかいって、連合は「年金やったのは連合だ」なんて怒ってるそうだよ。

 連合は「自民党過半数割れ」が方針、連合傘下のJR総連が自民党を推薦するから、おかしなことになってくる。しかも東日本が11人も、これほど松崎の危機感をあらわしているものはない。

 つまり革マルは自民党にすがるしかない。JR・革マル体制とは、JRの幹部が革マルと手を結んでいる体制だから、幹部が人事異動でぶっとばされたら.、革マルと手を結ぶ者は誰もいなくなる。

 JR人事は自民党の政治判断でやっているわけだから、松崎は自民党に「どうか今の住田さんたちをのこして下さい。革マルを手先に使ってくれる飼主をのこして下さい」と、お願いするしかない。恥も外聞もない、連合も組合も関係ない。茶番劇だよ。推薦された自民党も困っているだろうよ。

 一方では千葉転の永島問題(革マル分子永島が点呼中に当局に暴行を働き職場放棄した事件)みたいな、考えられないような事態が起こっている。国労や動労千葉にたいしては、ありとあらゆる差別選別をやっている当局が、勤務放棄をした永島を、かばっている。これは異常ですね。 かれらは冷静さを失っている。どんな理由があったにせよ、職場放棄ですよ。団交でそれを追及すると、いきなり当局は「当局側も悪かったかも知れない」とか「どっちが悪いかわからない」とか「なんか理由があったかも知れない」と言ってかばう、それに今の千葉支社の異常さが、はっきりとあらわれている。

 われわれは許さない、つかんだら放さない。徹底的にやっていく。「子供が病気だ'.た」とか言ってるそうだが、それなら始めからそう言えばいい。なぜ助役と大ゲンカして、大立ち回りして、黙って家へ帰ったりするんだ。そんな必要ないだろう。永島と当局はそういうウソを言ってるそうだよ。われわれは絶対に追及する、徹底的にトコトンやる。

 JR体制、分割・民営化体制、もっと正確に言うと、JRと結託したJR革マル体制でしょう。どこに弱点があるかといえば、革マルとJR総連なわけ。この最大の弱点にむかって徹底的に突いていく。

 大国主義と派閥政治では勝てない。
それから、3、4月に向かって、全組合員が一斉に組織拡大をやっていく。とりわけ運転職場、633名中、動労千葉は347名、56%ぐらい。やはり運転士を6割7割にしていく必要がある。24時間、48時間、72時間とエスカレートしても、むこうはスト破り体制かまえてくる。だから本質的にはスト破りをやらせない体制をつくることと、組織を拡大することですよ。

 こんどのストで当局が使った金は一億円、うちは300万円、電車は少々動いたが、一億円の出血を強要し、物質的打撃を与えた。

 しかし、問題の環は、組織を拡大することです。とくに千葉転、津田沼で、協会や共産党は派閥に属してない組合員の面倒をみないことがはっきりした。これは氷山の一角です。

 国労は20万のときと同じように3万になっても派閥の縄張りあらそいばかりをやってる。国労の真の利益や全体の利益のことを考えない。だから国労組合員は、なにかあると組合に相談するのでなく、派閥に相談する。こういうやり方を今でもやっている。ここを改めないと国労は、大変なことになると思っています、千葉転で分会の執行委員のほとんどが、動労千葉にきた、なぜか? そこを国労の諸君に考えてもらいたい。

 口で大国主義を反省すると言ってますが、本当に現場のストをやる労働者のことを考えていない。そこを反省しないと国労は、本質的互解の局面に入っていくと思いますよ。

 そこを確認した上で、国労との共闘をつくりながら、JR総連、鉄産労をターゲットにした全面的な、組織拡大をやっていく。とくに運転職場のまじめな組合員を、獲得していく、そうでないと、かれらはかわいそうですよ。結局は利用されるだけ。

 これはJR総連を互解さしていくたたかいで、動労千葉はガンガン、ストを撃つ、そして組織を拡大していく。

 もう少しすると必ずJR総連から脱退がでる段階がくる、そうなると、われわれの勝ち。そうでしょう、新採との関係でいえば、いずれにせよ来春から新採をとるでしょう。高卒もとるけれど過年度をとる、まちがいなく。いま18才から25才までがいないから、年齢構成からしても過年度をとらざるをえない。新採はだいたい営業にいく、だから、営業にも組織を拡大する展望を、いまからつくっていかなければなりませんね。新採があっても動労千葉加入ゼロでは、話にならないということです。

 ストライキこそ絶対的な手段
 12・5、1・18ストの総括の視点は、ストライキこそ、組合を防衛し敵に打撃をあたえる絶対的手段だということです。
 ストライキは安全であるということ、敵は弾圧できない、ストライキは賃金カットだけ、業命拒否は処分をやられる。国鉄時代はストライキは違法だったから、職場抵抗闘争とか、いろんなことをやった。いまは職場抵抗闘争やると業命がでて処分ですよ。だからストライキは安全かつ絶対的手段であることが、はっきりしたということです。

 たとえば乗務員なんか、やたらと研修会をやって、いやだと言っても業命でひっぱりだすから、年休がとれない。仕事がまわらない。「なんとかしろ」と。業余拒否すれば処分される。どうするか? 指名ストというやり方もある。

 研修、講習やるなら「要員よこせ」と要求する、よこさなければ指名スト、動労千葉の運転職場は、誰も研修にでないということになると、こまるのは向こう側。まあそういうやり方もあるということです。

 銚子でも話しましたが、ストライキのときスト破りを抗議するのは違法ではない、むこうは現認、現認なんてやってくるけど、処分はできない。スト破りに抗議する、カメラ、ビデオ、まったく合法的な権利、口で何を言っても「暴言」にならない。物理的にやらなければ、何を言っても処分にならない。ストでないときに、これをやると暴言だなんだと処分やカットをやってくる。

いずれにせよ、もっともっと研究し、ストライキを有効に活用し、どうやったら敵に打撃を与えることができるか。考えていかなければならない。

 JRは、団交やっても問答無用、何をやっても業命、好き勝手にやってる、現場で。これに対抗するにはどうするか、ストライキを軸にいろんなことを考えて、みんなでやっていくことが重要です。問題は賃金カットだけ。

 JRが問答無用のやり方でくるから、われわれはストをやらざるをえない.好きでやってるわけじゃない、やりたくてやってるわけじゃない。ストをやらせるJRが悪いんだというところまで追い込んでいこうと思ってます.

業務移管と組織分裂の攻撃
 この間のたたかいは、あまりにもうまくゆきすぎている。そもそも動労千葉750名で、こんなにうまくいくはずがない。

 むこうはシャクにさわっているから。やってきますよ。動労千葉をつぶしにかかってきますよ、必ず。ひとつは業務移管、もうひとつは組織分裂いろんな形でやってくる。去年一年のプラマイ、退職ふくめてマイナス3名です。 今年は春から縁起が良いじゃないですが、プラス8名、これを死守していく、マイナスになったら意味がない。業務移管は、津田沼、千葉転をなくすとか、勝浦なくすとかやってくる。勝浦は30年前から当局は言っていたが、われわれは30年間それを阻止してきたわけです。成田がやられたでしょう、つぎのターゲットは勝浦、基地絞廃合をふくめてやってくる。なんとか動労千葉をガタガタにしょうと考えている。

 しかしね、業務移管で東京にぜんぶ持ってっても、東京一極集中とか、地方の時代とか言ってるときに、東京は賃金1万円多い、勝浦はいまでも無給地だものね。(笑い)

 業務移管なんて、まともな民間会社のやることじゃない、土地は高い、人件費は高い、なんで東京へもっていくんですか。しかし敵がやってきたら、われわれはやりますよ。24とか48とか、そんなけちなことではなく、徹底的にやりますよ。

 JRも革マルも、動労千葉のことを良く思っていませんね。事故だ、差別だ、ストだ、と年中さわいでいるからね。「あんなうるさいは組合ない方がいい」と思ってますよ。そうでしょう、みなさん。

 JR総連は、国労より動労千葉は難物だと思っていますよ。そりゃそうだよ。10年前われわれは革マルに勝った。革マルとのケンカの仕方を知ってるからね。当局は本気で革マルを抑えるつもりなら、われわれを保護育成しなければならない? (笑い) これはじょうだんですが、われわれは革マルの強さも弱さも、やり方もぜんぶ知っている。だから当局にしても、国労も、鉄産労も、革マル包囲網なんて言うぐらいなら、動労千葉に学ばなければならない。

決戦としての2,3月闘争
 清算事業団決戦の最大のヤマ場は、2月下旬だと考えています。なぜかというと、清算事業団の2千名の首を切るためには、労働基準法上からみて1ヵ月前に解雇予告をしなければならない。だから2月28日に予告通知が出れば、3月31日に首なんです。

 千葉では、1月30日に公益委員会の結論がでて、約一週間後に地労委の命令がでるそうです。2月10日までの上旬ですね。ほぼ勝利命令だと思っています。国労は、解雇通知予告が出なかった場合、ストライキを落とすという感じになると思いますね。

2月下旬は、48時間かまえたい。清算事業団とダイ改、昨日労働条件がだされました、幕張の交検とか錦糸町の派出とか、勝浦と館山の事務とか、木更津の仕業・検査など、要員減です。これに対抗して、要員問題と反合・運転保安と結合してやっていく。

 それと強制配転の問題、動労千葉は75名が残っている。2年すぎて二号俸カットされている。さらに士職の登用問題。少なくとも営業から運転へ「いつ戻すのか」はっきりさせなければいけない。さらに不当処分、配転の問題を一体のものとしてやっていく。

 2月の18日に総選挙があります。その結果がいろんな形で影響がでる。少なくとも自民党を、過半数割れに追いこまなければならない。動労千葉は社会党を推薦して全支部全力でやっていきたい。社会党も問題があるけれど、少くなくとも「労働委員会の命令」をまもらせることぐらいは、やってもらう。

 2月末は微妙ですよ。清算事業団広域応募は79人、九州でも北海道でも公的部門に集中している。枠を何倍もこえて。そうすると1600とか1700とかが、このままいくことになる。これをぜんぶ解雇できますか? 政府は「一人も路頭に迷わせない」と言ったんだから、できますか? やったら相当大変な状況になりますよ。

 問題は職場のたたかいにかかっています。中労委をめぐる問題にしても、60年安保のときの炭労三池闘争以来30年ぶり。時の総評は総資本対総労働といって、大動員してホッパー前で、.警察・ヤタザとたたかい、死者まででた。池田内閣は閣議決定して、藤林あっせん案を示し、総評はこれをのんだ。結局どういうことかというと、会社が一旦解雇を撤回し、一ヵ月後に労働者が自ら退職するという方法。

 いまの労働委員会をめぐる労使攻防は、30年ぶり、それをやるためには、内閣がのりだしてくるぐらいやらなければダメです。いまのように「第四次広域採用・公的部門200」「ハイ、これでお手並拝見」みたいなことをやらしてるようじゃダメです。

東日本なんか8千も1万名も受け皿あるんだから、炭労の場合と状況がちがう。政府をひきずりだす状況をつくる、そういう迫力のあるたたかいをつくりだすことが重要です。

 九〇年代労働運動とは?
●八○年代以上に労働運動の質が問われている

 いままでもそうでしたが、それ以上に90年代は労働運動の質が問われる。指導部、組合員、組織全体が、質の高い、レベルの高い運動を展開する、そういう中身が重要になってくると思います。

 ひとつには、国鉄清算事業団闘争です。JRをめぐる攻防は、たんにJRだけでなく全労働運動的位置をもっていることを認識していただきたい。 たたかいの高揚次第では、連合路線なんかふっとぶような可能性を秘めた闘争である。連合の幹部は、清算事業団闘争やらないといってますが、首切り問題でしょう、首切りに賛成する組合だったら、これはもう終わり。だけど連合の下部の組合員は、首切り問題として、清算事業団闘争に、非常に共感をもってみつめている。だから連合路線を下からつき崩しかねない質を、清算事業団闘争がもっていることをしっかり認識して、清算事業団を軸に運転保安をもうひとつの軸に、突き抜いていく戦略をもたなければならない。

 敵を見すえ、味方の戦力をみきわめ

 90年代は、戦後の支配体制が根底的に変わってくるわけだから、むこうは凶暴になってくる。ぜい弱だけど凶暴になる。スト権があるにもかかわらず、スト破り体制を強化してくる。

 だから、敵をみすえること、何を考え、何をやろうとしているか。JRの場合は、JRとJR総連革マルが結託して攻撃してくる。公休、特休を呼び出し、スト破りやらせるなんてことは、並の経営者のやることではない、革マルと結託しているから、ああいうことが起こる。そこを見すえないと、大変なダメージを受けることになる。国労も、もう少し真剣に考えた方がいいと思います。

 つぎは、味方の戦力を見きわめること。運転士の数も戦力だが、支部の体制、動労千葉は解雇者28名、清算事業団12名、強制配転で多いときは100名以上、もっていかれた―いまの支部の体制は、労働組合活動にあんまり訓れていな、経験が少ない.、やはり大変ですよね。しかし今度のたたかいで、そうとう飛躍しましたよ。ポイントはここです。支部体制の確立一この2波のストライキ、各支部のがんばりにたいし、私は敬意を表するとともに.私なりに自信を深めています。この3年間、各支部はそうとうダメージを受けてきましたが、今度のたたかいで前よりも力強い体制をつくりあげていくキッカケをつくった。ここが勝負ですね。
 もうひとつは、どんな小さなたたかいでも、一つ一つ決戦としてやりぬく、油断も隙もあたえず、全力で決戦としてやりぬくこと。とくに90年代は、いい加減にやると痛い失敗をすることになる。蟻の一穴になりかねない。そういう時代がきているということ。

 もうひとつは、獲得目標をきちんと、明確にしてたたかうことです。表むきの目標や要求だけではなく、それとあわせて、われわれの獲得するものは、対当局との力関係とか、広がりの問題とか、JR総連にたいするたたかいの問題とか、そこをみんなで明確にして、獲得していくことです。

 たとえば、ストライキやっても「成果があがらない」とか「金がムダ」だとか、そういう意見があるでしょう。
 長い間、民同労働運動がつづいたから。民同は組合員を信頼していないから、ストライキしても何かモノを与えないと納得しないと思っている。.だからどんな譲歩をしても「モノ取り」に窮々する。これからは、簡単にモノはとれない。いままでだってわれわれのストライキ、三里塚と分割・民営化のたたかい、モノをとるたたかいではない。

 モノをとれるなら、団体交渉でとればいいわけで、ストライキをやって、われわれの力を誇示する! そこのところを現実に即して、考えていかなければいけないと思しまます。

 さきほども言いましたが、中途半端なたたかいはやらない、はじめたらトコトン貫徹する。そうでないと不完全燃焼でおかしくなっていく。

 もうひとつは、孤立を恐れないが、常に連帯を追求するということです。連帯を求めて孤立を恐れず―70年の全共闘の言葉がありましたね。われわれのたたかいは、一見孤立しているかのように見えるが、われわれは主体的に多くの労働者に連帯を求めるし、たたかいの裾野が、どんどん広がっていくようにしなければいけない。それが自力・自闘・連帯の精神であります。

 たとえば、物販とか交流センターのたたかいをやっていますが、今度の2波のストライキが相当なインパクトを与えていると思います.全国に動労千葉を応援する労働者を一万人つくる、不可能じゃないです。

 それと同時に、国鉄戦線のなかに動労総連合の広がりを、どうつくっていくのか。西日本、水戸、高崎を広げていく、できていないところにつくっていく工作をやる。JR総連が解体していく過程と、いっしょになっていくと思います.

 以上のことが、90年代の初頭の労働運動の課題と展望ではないかと思います。長い聞どうもありがとうございました。(拍手)          


 

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