日  誌
2010年5月①

4月⑩へ 5月②へ
 2009年日誌 2010年日誌
スケジュール
5・5 団結バーベキュー会


おおよそ、午後5時過ぎにスタート

会費 1000円

(おおよそ飲み・食べ放題)

去年の様子

  5月5日(水
定刻、5時すぎにスタート
 これは昨夜のこと 豚肉のスペア・リブ 鶏手羽の焼き物
 定番の焼きソバ  差入れ・仙台蒲鉾の大漁旗 野菜スティック
差入れのキャベツ りっちゃんのぬか漬け
 オニギリ登場
本日のメイン・イベント、ジャンボ・ステーキ。こんなにもデケ~~エ
アチコチで討論の輪が
 最後には色んな人たちが集まりました

伊藤 晃(日本近代史研究者)
入江史郎(スタンダード・ヴァキューム石油自主労働組合委員長)
宇都宮理(愛媛県職員労働組合委員長)
大野義文(元安芸労働基準監督署長)
大和田幸治(全国金属機械労働組合港合同事務局長)
北原鉱治(三里塚芝山連合空港反対同盟事務局長)
金 元重(韓国労働運動史研究家)
高 英男(全日本建設運輸連帯労組関西地区生コン支部副委員長)
鈴木達夫(弁護士・法政大学弾圧裁判弁護団長)
高山俊吉(弁護士・憲法と人権の日弁連をめざす会代表)
中江昌夫(元国鉄動力車労組副委員長)
葉山岳夫(弁護士・動労千葉顧問弁護団長)
山本弘行(動労千葉を支援する会事務局長)
矢山有作(元衆議院議員)
全日本建設運輸連帯労組関西地区生コン支部

呼びかけ文

動労千葉を支援する会のホームページから転載
EU崩壊のカウントダウンが始まった

●ギリシャ緊縮策反対でスト 失業教師らがテレビ局に乱入

●ギリシャの公務員労組、48時間ストに突入 全土で混乱
アテネのメーデー
NHK 日本テレビ

5月3日(月
夕食は鯛・イカの刺身 カツオのたたき  カボチャ煮、ホウレン草
寄せ豆腐  ジャガイモの味噌汁 バーベキュー用に仙台から蒲鉾が
差し入れられました
★なぜ北部合同労組「うるまユニオン」を作ったか (東北講演③)
沖縄北部合同労働組合(うるまユニオン)blog!! から転載
 これは結論から言えば「労働者こそ基地建設を阻止する主体だ」と考えたからです。そして、闘わない既成の労働組合と労働運動を乗り越える労働運動が新基地建設を阻止する名護の労働者に絶対に必要だと考えたからです。

 うるまユニオンを結成したのは07年12月ですから、命を守る会事務局解雇の前になります。

 その時の僕は「代表が亡くなった"命を守る会"に何としても青年を獲得し、復権出来なければ辺野古闘争は潰れる」と考えていました。

 その頃、命を守る会でおじぃやおばぁ達と僕が会合を持ち、時代情勢や闘う路線について議論していました。その中でおばぁ達は「若いのが闘わないとどうにもならん」と激しく訴えていました。青年労働者が辺野古闘争に立ち上がるここをどうすれば良いのか。僕は必死に悩みました。

 命を守る会の代表であった金城祐治さんはバス労働組合の出身者で、根っからの労働者であり、その気骨の強さと愚直さは青年から年寄りまで多くの人から愛される人格者でした。

 辺野古闘争の微妙な政治バランスを1人の人格が持たせていたに等しかった。ですから、彼が亡くなったということは辺野古闘争にはとてつもなく大きかった。この事態を僕はどう突破すべきかを悩んでいました。

 そして、もう一点は大恐慌へと一気に雪崩を打ったように転がり始めた激動の時代を前に辺野古闘争を担った青年は何を持って闘うべきかをはっきりさせなければなりませんでした。展望が無ければ辺野古闘争で闘い抜いて来た青年労働者は潰されると考えたのです。

 ここを相当苦闘しました。
 辺野古闘争に辺野古や地域の青年が中々参加しない。近くに名桜大学があるけど学生が参加したのは片手で数えられる程度だった。リーフ上案が白紙撤回され、闘いが勝利しても釈然としないというのが僕の中にはありました。

 それで実際に辺野古の青年労働者に話しを聞いてみたりしました。話しかけてみて辺野古の青年達が最初に言って来たのは「大体反対運動なんて出来るのは公務員だからじゃないのか」っていうこと。それは違うと言い返しました。すると、「仕事で反対運動どころじゃない」「反対したら仕事に就けなくなる」「反対運動はそこまで責任持ってくれるのか」と言った意見が続出しました。僕が「労組を作ったら変わるのでは」と言うと「労働組合は今までもあったし、入ったこともあるが何も変わらなかった」と言われ言い返せないという感じでした。

 それから勉強しました。中野さんの「俺は鉄路に生きる1~3」「甦る労働組合」を読ませていただき、労働組合と政治闘争の関わりなんかも実践的にはたくさん辺野古で出会ったということはありますが、理論的にはそこで勉強しました。その中で動労千葉の今までと現在の闘いに触れ、動労千葉のように闘う労働組合が名護にも必要だと確信しました。
 
 そして、07年9・29の12万人決起は労組を作ろうか考えていた時期に決定的な展望を見せ付けました。
 07年9・29県民大会は作る会教科書を先頭に学校の教科書に「沖縄戦の集団死は軍名でなかった」とする記述、考え方を政府主導で行ったことで爆発した大会です。

 沖縄戦時、チビチリガマなど多くのガマ(洞窟)の中で「生きて辱めを受けるな」とする軍部の命令によって多くの労働者、女性、子供達が互いに殺し合い、集団死に致りました。

 この教訓から戦後、教職員組合・教労を中心に「集団死は軍名であった」ことを公教育にする闘いが全国的に爆発し、全ての教科書に沖縄戦の事実が記載されました。これを歪曲することは沖縄戦そのものを美化し、戦争を良しとするものでしかない。沖縄の戦後の全ての反戦闘争を否定するものです。絶対に許されない。だからこそ、12万人・県民の1割が決起しました。

 でも実はあの12万人は誰も予想もしていなかったのです。僕らは「10万人決起を」と訴えていましたが、既成政党は「議会で教科書問題を変えよう」という自分本位な訴えが沖縄中を席巻していて、本質的に訴える内容が街頭からは中々聞こえてこなかったのです。新聞でも「5万がやっと」と言った内容が載せられていました。

 では、この12万人を誰が作ったのか。そこが重要です。
 それは教労を中心とした労組に組織された労働者です。
 先生達は教育委員会の制動を乗りえて授業で9・29県民大会の意義を生徒に訴え、生徒達と共にPTA、青年会や老人会をガンガン組織しました。そして、12万人を会場へと運んだのは自治体の労働者がバスを動かし、バス労働者が乗車券を無料にする闘いを行って送り届けたのです。

 12万人総決起は僕に労働者が団結した時の無限の力の可能性を教えました。
 
 もう一つは沖縄「全軍労」の闘いです。沖縄の闘いは全軍労を抜きに歴史を語ることが出来ません。
 全軍労というのは知っている方もいらっしゃると思いますが、沖縄が復帰前に組織していた基地労働者の労働組合で非常に戦闘的でした。

 ベトナム反戦闘争時代に基地労働者が基地をストで一時占拠するという事態まで全軍労はやっている。
 60年~70年当時の全軍労・牧港支部青年部の「死すべきは基地、労働者は死んではならない」というスローガンには非常にショックを覚えました。

 今の時代でいうなれば「死すべきは資本主義、労働者は生きて次の社会を作ろう」ということです。いま僕達に必要なスローガンは「これだ」と思ったわけです。

 辺野古で出会ったベトナム人の80を超えるおじぃが「俺は沖縄が恐い。B-52も枯葉剤も沖縄から来たから恐いし、許せない。だけどあの時B-52が飛ばない日があった。あの日の"zengunrou"のストの日だ」と話していたのを覚えています。

 それでこういう闘いをやった人達が今も沖縄にはいて、まだ働いている人もいる。先程の全軍労時代を「反戦派労働者」として闘ってきた仲間から話を聞きました。

 基地撤去の問題に対して「基地撤去は何か別に雇用の場を確保してそこに労働者を移動すれば出来るというものじゃない。たとえ基地外に雇用の場を作ったとしてそれは基地の仕事を外注化したに過ぎない。基地撤去をする主体は基地労働者だ。基地の内部を誰よりも知っている基地労働者だからこそ、基地を実力で撤去し、基地のなくなった後に自分達の職場を創造出来る。その闘いを低めては絶対に基地撤去は出来ない」と話していました。

 その後07年末に二波のストを新たな全駐労の指導部となる青年労働者と組織しました。
これがうるまユニオンを結成しようと僕に腹をくくらせたといっても良いです。非常にでかかった。
 
 そして、最後の一つはやはり日比谷11月労働者集会です。
 11月集会は労働者が一つの路線、時代認識の下で団結した時に無限の力を発揮することを肌で感じさせました。
 9・29は無限の可能性を示しましたが、それを具体化した闘いは11月集会意外ありません。

 12万人を決起させた9・29であっても体制内指導部が労働者の怒りを闘う路線に集約するはずはなく、教労の労働者の地を這いずるような地道の闘いを「議会政治」の闘いだけに貶め、歪曲してきました。

 動労千葉や11月派と言われる闘う労組は指導部が鮮明に闘う方針を労働者に訴えてきました。「国鉄闘争・四大産別を軸に新基地建設を阻止し、革命やろう」ってどんなに鮮明なんだって話しじゃないですか。これが出来るのは動労千葉の実践に裏打ちされた闘いがあるからです。

 皆さん、もし、11月集会派が沖縄県民大会の主催者だったらどうです。革命が起こっちゃいますよ。12万人を組織して基地に突入して、全ての基地を撤去してやりますよ。そういう話しです。だから、

僕はその主催者になろうと。主催者になれる実践と路線を持った労組を沖縄に作ろうと思ったわけです。

 それで沖縄・北部合同労組"うるまユニオン"は結成されました。

5月2日(日
 のぼり旗を作りました。 夕食は、手抜きして、寿司を買ってきました
夕食後、「前進」春季特別号

(自作・コンパクト版)の読み

あわせを、しました。

コンパクト版だけど、70分、

かかりました。


その後で、飲み会、みんなバ

リバリに空気が入ってたのか

、いつになく高揚感に溢れて

いました
 鳩山民主党・連合政権を倒せ(2438号 春特別号)
国鉄分割・民営化反対、解雇撤回、沖縄基地撤去・安保粉砕・日帝打倒
 
大恐慌を今こそプロレタリア革命へ
1章 国鉄闘争の歴史的な転換局面を迎え撃った1~4月の地平
 (1) 検修外注化4・1実施阻止とJR体制の絶望的破綻
 今、資本主義・帝国主義は最後の延命策としての新自由主義が世界金融大恐慌の爆発に直面して大破綻し、破局と崩壊を深めている。そして全世界のプロレタリアートの「生きさせろ」の根源的決起が始まっている。
 
  
大恐慌をプロレタリア世界革命へ転化する情勢は、日に日に成熟している

 
2010年1~3月、そして4月の日本階級闘争は、
    
国鉄決戦の基軸性を歴史的勝利性をもって打ち立て、同時に
    
安保・沖縄闘争を復権しつつ、
    
国鉄決戦と安保・沖縄決戦の一体的爆発の緒についた。

 戦後日本階級闘争の金字塔としてある70年闘争の地平を、未曽有の反動・反革命を打ち破って革命的に継承・発展させて、大恐慌下の大失業と戦争をプロレタリア
革命とプロレタリア独裁の樹立に向かって突き進む地平に立った
 何よりも確認したいことは、
国鉄決戦の歴史的大転換点第2次国鉄決戦として迎え撃つ地歩を築いたことである。 

 三里塚、菱田の鈴木さんの山で筍堀り
筍堀り

 だ  ん   け  つ 2010年5月2日
№351
東京北部ユニオン 「街」分会
関町北4-2-11
市東さん耕作権裁判、
報告集会で 5・16決起訴え
 4月26日、千葉地裁で市東孝雄さんの耕作権裁判が開かれ、労働者・農民・学生・市民が駆けつけて傍聴席を埋め、反対同盟とともに闘いぬいた。

 今回は裁判長交代に伴う更新意見陳述が行われ、葉山岳夫弁護士を始め反対同盟顧問弁護団が次々と立ちあがって更新意見を述べた。「暫定滑走路建設を理由に、祖父の代から90年も耕しつづけてきた農地を強奪することは許されない。これは公共性に名を借りた強盗行為、国家的地上げだ。裁判所はNAAの手先となるな!」との厳しい断罪が、NAA代理人弁護士と裁判官を突き刺した。
            次回弁論は7月26日と決まった。
 閉廷後に弁護士会館で報告集会が開かれた(写真)。北原鉱治事務局長があいさつに立ち、「200億円もかけて第3誘導路を建設し、市東さんの自宅を空港の中に囲い込もうとしている。あからさまな農民殺しを許さず5・16現地闘争に大結集を」と訴えた。

 この日、市東孝雄さんと萩原進事務局次長は沖縄県民大会からの帰途にあり、司会の萩原富夫さんが市東さんから届いたばかりのメッセージを読み上げた。「昨日の県民大会は大変盛り上がり、私自身感動しました。9万人の人たちが集まり、反対同盟の旗を真ん中に立ててがんばりました」

 続いて弁護団がそれぞれ法廷でのやりとりを振り返り、今後さらにNAAを追い詰める展望と決意を語った。最後にまとめとして事務局員の鈴木謙太郎さんが、5・16への全力結集と白熱する5月現地攻防突入を訴え、これに応えて参加者全員が決意を固め闘志を激しくかきたてた。(T)
4・28沖縄デー集会への連帯メッセージ
 コンルータスからの連帯メッセージ
兄弟姉妹のみなさん、

 58年前、アメリカは日本人民にサンフランシスコ条約を押しつけました。沖縄はアメリカの統治のもとに残され、多くの軍事基地が日本中にばらまかれました。

 日本の地に外国の軍事基地が存在することは、認めがたいことです。

 鳩山と民主党はこれを「変える」と言って選ばれました。普天間の米軍基地の閉鎖が、選挙に勝つための公約の一一つでした。しかしこれは実現されませんでした。
 日本の労働者民衆は、鳩山が基地を閉鎖するのを待ってなどいられません。街頭に出て闘うことを選択します

 コンルータスは、日本の全米軍基地と共に普天間基地を撤去する闘いへの支持を、ここに表明したいと思います。日本の労働者民衆が組織的な力をもって、この恥ずべき軍事基地に終わりを告げるであろうと確信しています。

  Solidarity、 連帯を込めて、
  デルセウ・トラペッソ&ファビオ・ボスコ コンルータス(ブラジル)を代表して  サンパウロ/2010年4月28日

 アーリーン・イノウエさん からのメッセージ
 日本の兄弟姉妹のみなさん、

 アメリカの数百人の学生、保護者、教師、コミュニティー活動家から成るCAMSは、沖縄の普天間基地に焦点を当てた貴反軍集会と連帯し共に闘います。

 沖縄がアメリカ軍の支配に売り渡された1952年のサンフランシスコ講和条約の記念日にあたり、私たちは、沖縄と日本人民の叫びに応え共に声を挙げていきます。
*世界的規模の帝国主義的利害と支配を目的としたアメリカの侵略戦争に、沖縄から出撃するな!
*普天間基地を撤去せよ!いかなる地にも移転するな!
*沖縄と日本人民の声に耳を傾け、沖縄のアメリカ軍支配に終止符を!
 沖縄に軍事基地が集中して以来、学生、農民、労働者、労組活動家たちは、平和と正義、日本の進むべき道を希求する闘いを拡大してきました。私たちはアメリカにおいて、普天間基地の撤去を要求し平和を追求して共に闘います。
 ln solidarity、連帯を込めて、
  CAMS世話人 アーリーン・イノウェ

米オークランド教組が 全市でストライキ
 米カリフォルニア州オークランドで、4月29日、全市の学校が一日ストライキに突入した。早朝、5時半から組合員、保護者、生徒、地域住民が各学校前に結集し、6時~11時にピケットを張った。学区当局のスト破り導入策動にもかかわらず、全校が完全に停止した。昼は、市役所前、オガワプラザ(3月4日に全学連訪米団が参加した集会が行われた場所)でストライキ集会をした(写真)。そして2時から再び全校でピケットを張った。学区当局ビル前では全日ピケットが張られ、ビルは封鎖された。オークランド市全体が完全に学校ストで制圧されたのだ。

 オークランド教組(OEA)がストに突入した理由は、(1)2年間も労働協約が結ばれていないこと、(2)もともとオークランド学区の教員の賃金は低く、また数年間物価上昇分の補償が行われていないこと、(3)学区当局は、クラスの人数の増大、教員の解雇、賃金の凍結(実質賃下げ)を提案してきており、体育や音楽などの授業をカットしてきていること、などだ。
 また、OEAはNEA(全米教員協会)傘下だが、NCLB(落ちこぼれゼロ法)の「改善」を提案しているNEA本部と違って、NCLBの撤廃を正面から要求し、また、NCLB法に基づく州の標準学力テストや校内での募兵に反対して闘ってきた。3月4日のカリフォルニア州教育ゼネスト・一日行動の後、大学当局と警察権力は、闘う学生に対して大量処分、逮捕攻撃をかけてきている。こうした中で、オークランドで全市一日ストが行われた意義は巨大だ。しかも、裁判所の介入によって、いったんストライキの延期を余儀なくされた後、それを乗り越えてストを貫徹したのだ。
 また、オークランド教組は、すべての労働者階級と団結することによって勝利すると確信している。オガワプラザの集会では、ILWU(国際港湾倉庫労組)に属する鉱山労働者のストとの連帯と労働者の国際連帯が掲げられている。

 オークランドは、前市長、ジェリー・ブラウン(1999~2007年)の元で、大規模な廃校化攻撃、チャータースクール(公設民営校)化の集中攻撃を受けてきた。そして、教育労働者の解雇、賃下げ攻撃が激しく吹き荒れた。ジェリー・ブラウンは元カリフォルニア州知事であり、それがわざわざ人口40万の中都市の市長になったのは、そこが戦略的な都市だからだ。オークランドは、西海岸ではロサンゼルス地域に次ぐ大港湾があり、米軍施設が多く、米軍事戦略にとって決定的な位置を持っている。そして、アメリカでもっとも戦闘的な労働組合、ILWU(国際港湾倉庫労組)を始め、多くの戦闘的労組がオークランドを拠点にしている。また、戦闘的革命的な大学闘争の拠点、バークレー市は、隣町だ。だから、支配階級が、民営化=労組破壊攻撃をどこよりも激しくかけてきたといえる。この戦略的対決を真っ向から受けて立ち、オークランド教組と生徒・保護者(地域の労働者)は団結を強化してストライキを貫徹したのだ。

5月1日(土
昼食はカレー
マンション掃除をします
3時のお茶 5日のバーベキュー用に、差入れの
注文
夕食は豆腐チゲ


鯵が二匹で200数十円で刺身に
 ← 鶏肉の梅・シソ天


菜花のおひたし →

 インターネットを見ていたら、こんな頁に当たった。
  石神井川、空堀川、白子川で新しい区間の河川整備に着手します
-水害から都民の命と暮らしを守る 安全なまちの実現-
平成21年11月25日
建設局
東京都では、洪水や高潮による水害から都民の命と暮らしを守るとともに、うるおいのある水辺空間や良好な河川環境を保全・創出するため、河川の整備を進めています。
 このたび、石神井川および空堀川の下記区間について、本日付けで、都市計画事業の認可を取得し、河川整備事業に着手しますのでお知らせします。
河川名 事業区間 延長 期間
石神井川(しゃくじいがわ) 練馬区 石神井台四丁目(扇橋上流)
~同区 関町北四丁目(本立寺橋下流)
約1,400メートル 自 平成21年11月25日
至 平成28年3月31日

整備の概要

河道の拡幅

 1時間あたり50ミリメートルの降雨による洪水を安全に流すことができるように川幅を広げる整備をします。

うるおいのある水辺空間や良好な河川環境の保全・創出

 川沿いの通路の緑化や親水性・動植物に配慮した護岸整備を進めます。

〈整備のイメージ〉

写真
今回整備箇所(石神井川)

右矢印

写真
整備済み箇所(石神井川)

石神井川、空堀川、白子川について

石神井川

 石神井川は小平市に源を発し、東京都北部をほぼ一直線に東へ流れ、北区王子駅付近で隅田川に合流する延長25.2キロメートル、流域面積61.6平方キロメートルの一級河川です。

※資料 案内図 石神井川、空堀川、白子川(PDF形式:290KB)

「10年後の東京」への実行プログラム2009事業(石神井川、白子川)
 本件は、「10年後の東京」への実行プログラム2009において、以下の目標・施策に指定しています。
 目標4 災害に強い都市をつくり、首都東京の信用を高める
 施策22 東京を守る気候変動への適応策に着手

問い合わせ先
建設局河川部計画課
 電話 03-5320-5414
東京都による、工事強行を許さないぞ!!
河川整備に着手しますとは、⑧ 「整備工事着手」のことか!
 ③「用地測量」はいつやったのだ!
⑤ 「用地説明会」~⑦ 「工事説明会」をいつやったというのだ!
住民無視の工事強行を絶対に許さない!
早速、下流を調査!
   動労千葉を支援する会・千葉が結成!
動労千葉を支援する会のホームページから転載
EU崩壊のカウントダウンが始まった

29日 ギリシャ 財務省に突入 NHK記事 30日

本日、ゴールデンウィーク突入集会!!
3・14法大弾圧を許さない法大生の会のブログから転載

 だ  ん   け  つ 2010年5月1日
№350
東京北部ユニオン 「街」分会
関町北4-2-11
沖縄基地撤去・安保粉砕へ
4・28首都で戦闘的デモ
 4・25沖縄県民大会と連帯し、「普天間基地即時閉鎖、辺野古新基地建設阻止、4・28沖縄デー集会」が4月28日、東京・日比谷野外音楽堂で開催された。

 800人が結集し「沖縄からすべての基地を撤去し、日米安保をうち砕こう!」「鳩山政権打倒!」などの決意を固め、夜の銀座を戦闘的なデモが席巻した。

 織田陽介全学連委員長が開会宣言で「沖縄の怒りで民主党政権は崩壊寸前だ。労働者階級を代表する勢力こそが時代の主流派となる時だ」「沖縄闘争を正面課題で闘う労働運動と学生運動の復権を」と訴えた。
 連帯アピールで、三里塚反対同盟の宮本麻子さんが、沖縄県民大会に反対同盟も参加したことを報告、「団結街道の廃道、市東さんの農地を囲い込む第3誘導路の工事策動が迫っている。反対同盟は沖縄と心を一つにして絶対に阻止する。5・16現地闘争への参加を」と呼びかけた。憲法と人権の日弁連をめざす会の武内更一弁護士が「私たちは戦争に絶対反対の弁護士集団。沖縄基地『移設』は欺まんだ。裁判員制度にとどめを刺す5・18大集会へ」と訴えた。

動労千葉の田中康宏委員長が特別アピールに立った。「自民党から共産党まで全党派が日米安保を擁護する中で、沖縄基地闘争は日米安保体制を粉砕する以外に出口のない局面となった。日米の労働者が団結・連帯し、安保をぶっ飛ばして戦争機構を粉砕する時だ」「国鉄1047名解雇撤回闘争への『和解』は、闘争団全員が屈服にサインすることが条件だ。23年闘った労働者の誇りを捨てろというのだ。こんな屈辱には絶対負けられない。国鉄労働運動の火を消すなという全国大運動を総力で開始する」と、渾身の力で訴えた。

 ブラジルの戦闘的労働組合「コンルータス」と、アメリカの「校内における軍国主義に反対する連合」世話人のアーリーン・イノウエさんからの連帯メッセージに続いて、全国労組交流センターの青年労働者が基調報告を行った。自らが闘いに目覚めた沖縄闘争の体験を語り、「支配階級は本土と沖縄の労働者を分断してきた。4・28は帝国主義の延命のために沖縄が売り渡された屈辱の日。これを今こそ革命に転化する時だ」「国益を守るとは侵略戦争の歴史だ。日米安保を粉砕し、連合もろとも鳩山政権打倒へ!」と呼びかけた。

 医療労働者がカンパアピール。百万人署名運動の仲間は「新たな署名運動を始めた。行動する仲間を増やそう」と訴えた。獄中35年を闘い抜く星野文昭さんのメッセージが紹介され、星野暁子さんは「星野闘争のある沖縄闘争を! 星野闘争のある階級的労働運動を!」と熱烈に訴えた。8・15実行委員会の葉山岳夫弁護士が「基地撤去の闘いは鳩山政権を打倒する一大政治闘争」と提起。沖縄民権の会の座覇光子さんは「県外・国外移設の主張は間違い。沖縄で苦しい思いを重ねた結論は基地閉鎖・廃絶・撤去だ。世界の労働者階級が一緒に解放されなければならない」と呼びかけた。坂野陽平全学連委員長代行は「日米の学生と労働者が一つになれば基地と戦争は止められる。5・15沖縄決戦へ」と訴え、法大文化連盟の斎藤郁真委員長は「民主党頑張れではダメだ。労働者人民のゼネストが戦争を止める。体制内派をぶっ飛ばそう」と檄を飛ばした。

 最後に日逓中野で解雇撤回闘争を闘う仲間がまとめの発言に立ち、闘う国労闘争団員の参加者を紹介し、行動提起を行った。ただちに銀座への戦闘的デモに出発し、あちこちで労働者とデモ隊の熱い交流が生まれた。(KM)

国労臨大の大裏切り弾劾し、
400人が新たな闘いを宣言
  写真は国労臨大会場前
 4月26日夜、「1047名解雇撤回! 検修外注化阻止! 国鉄闘争勝利総決起集会」がティアラこうとうで開催され、400人が結集した。この日、国労本部は臨時大会を強行し、4月9日に政府が示した「1047名問題解決案」の受け入れを強行決定した。集会は、国労本部の恥ずべき裏切りに対する怒り、新たな闘いへの熱気にあふれる場となった。

 冒頭、司会の国労郡山工場支部の橋本光一さんが「今日は11月集会派以外のすべての労働運動指導部が資本の軍門に下った決定的な日だ。われわれの責任は重大だ」と決意を込めて切り出した。

 国労臨大決戦報告を行った国労共闘の吉野元久代表は、警察権力を導入した国労本部を激しく弾劾するとともに、大会議案を全面的に批判した。 続いて動労千葉の田中康宏委員長が「国鉄闘争勝利の新たな大運動へ」と題して提起を行った。

 田中委員長は、「国労幹部たちは今日の大会で、1047名の闘争団員と組合員をだまし、自らの手で自らの首をくくった。今回の和解の本質は国鉄分割・民営化の全面的正当化だ。それを24年かかって国労本部や4者4団体幹部に全部のませたということだ」と断じた。そして「われわれに求められているものは昨日までとは違う。4者4団体幹部や国労本部を批判しているだけではすまない。ここが勝負だ。すべての勢力が国鉄分割・民営化反対闘争の火を片りんもなく消し去ろうとしている。われわれは逆に“国鉄闘争の火を消すな”と火をつけて回る。これは大恐慌下の労働運動を新たにつくり出す闘いだ」「国鉄分割・民営化攻撃は何ひとつ終わっていない。外注化でJRを数百の子会社に細分化する攻撃との闘いはこれからだ。敵は矛盾だらけだ。1047名闘争と外注化阻止闘争でこの情勢を突破しよう」と訴えた。

 闘争団・争議団が烈々たる決意表明を行った。国労小倉地区闘争団の羽廣憲さんは「全身全霊で新たな闘いに突入する。われわれは労働者階級の団結のみに依拠し圧倒的な勝利の展望をつかみ取っている。全国の闘争団員をオルグし、仲間をどんどん拡大する」と確信に満ちて語った。国労秋田闘争団の小玉忠憲さんは「大会を傍聴した組合員から『こんなことをやったら国労は終わりだ!』と激しい怒りのメールが届いた。JRの現場には23年間も草むしりを強制され続けてなお『おれの闘いと1047名闘争は一体だ。

 おれは必ず原職に復帰する』と闘い続けている組合員のような存在が無数にいる。ここに展望がある」と言い切った。動労千葉争議団の中村仁さんは「労働者は一人の首切りも許しちゃいけない。多くの非正規職の労働者たちは、いつ首になるかも分からない。それが今の社会では『合法』とされている。こんな社会にしたのが国鉄分割・民営化だ。どうしても『国鉄分割・民営化は間違いだった』と言わせなければいけない」と語った。国家を挙げた攻撃をぶち破って屹立する当該の発言に、参加者は奮い立つような決意を新たにした。

 5・27弾圧被告団長の富田益行さんが尼崎闘争を報告。動労西日本の山田和宏副委員長がカンパアピール。さらに5・27弾圧裁判弁護団の鈴木達夫弁護士、国労東京と国労千葉の現場労働者、動労千葉を支援する会、4・28沖縄デー集会実行委員会、全学連の織田陽介委員長がともに闘う決意を表明。最後に国労新潟地本の星野文男さんが「明日から職場で猛然たる闘いに突入しよう」と訴え集会を締めくくった。

 

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