日 誌 |
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2009年日誌 | 2010年日誌 |
スケジュール |
おおよそ、午後5時過ぎにスタート 会費 1000円 (おおよそ飲み・食べ放題) |
5月5日(水) |
定刻、5時すぎにスタート |
これは昨夜のこと | 豚肉のスペア・リブ | 鶏手羽の焼き物 |
定番の焼きソバ | 差入れ・仙台蒲鉾の大漁旗 | 野菜スティック |
差入れのキャベツ | りっちゃんのぬか漬け | |
オニギリ登場 | ||
本日のメイン・イベント、ジャンボ・ステーキ。こんなにもデケ~~エ | ||
アチコチで討論の輪が |
最後には色んな人たちが集まりました |
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動労千葉を支援する会のホームページから転載 | ||
EU崩壊のカウントダウンが始まった | ||
●ギリシャの公務員労組、48時間ストに突入 全土で混乱 | ||
●アテネのメーデー | ||
NHK 日本テレビ | ||
5月3日(月) |
夕食は鯛・イカの刺身 | カツオのたたき | カボチャ煮、ホウレン草 |
寄せ豆腐 | ジャガイモの味噌汁 | バーベキュー用に仙台から蒲鉾が 差し入れられました |
★なぜ北部合同労組「うるまユニオン」を作ったか (東北講演③) |
沖縄北部合同労働組合(うるまユニオン)blog!! から転載 |
これは結論から言えば「労働者こそ基地建設を阻止する主体だ」と考えたからです。そして、闘わない既成の労働組合と労働運動を乗り越える労働運動が新基地建設を阻止する名護の労働者に絶対に必要だと考えたからです。 うるまユニオンを結成したのは07年12月ですから、命を守る会事務局解雇の前になります。 その時の僕は「代表が亡くなった"命を守る会"に何としても青年を獲得し、復権出来なければ辺野古闘争は潰れる」と考えていました。 その頃、命を守る会でおじぃやおばぁ達と僕が会合を持ち、時代情勢や闘う路線について議論していました。その中でおばぁ達は「若いのが闘わないとどうにもならん」と激しく訴えていました。青年労働者が辺野古闘争に立ち上がるここをどうすれば良いのか。僕は必死に悩みました。 命を守る会の代表であった金城祐治さんはバス労働組合の出身者で、根っからの労働者であり、その気骨の強さと愚直さは青年から年寄りまで多くの人から愛される人格者でした。 辺野古闘争の微妙な政治バランスを1人の人格が持たせていたに等しかった。ですから、彼が亡くなったということは辺野古闘争にはとてつもなく大きかった。この事態を僕はどう突破すべきかを悩んでいました。 そして、もう一点は大恐慌へと一気に雪崩を打ったように転がり始めた激動の時代を前に辺野古闘争を担った青年は何を持って闘うべきかをはっきりさせなければなりませんでした。展望が無ければ辺野古闘争で闘い抜いて来た青年労働者は潰されると考えたのです。 ここを相当苦闘しました。 辺野古闘争に辺野古や地域の青年が中々参加しない。近くに名桜大学があるけど学生が参加したのは片手で数えられる程度だった。リーフ上案が白紙撤回され、闘いが勝利しても釈然としないというのが僕の中にはありました。 それで実際に辺野古の青年労働者に話しを聞いてみたりしました。話しかけてみて辺野古の青年達が最初に言って来たのは「大体反対運動なんて出来るのは公務員だからじゃないのか」っていうこと。それは違うと言い返しました。すると、「仕事で反対運動どころじゃない」「反対したら仕事に就けなくなる」「反対運動はそこまで責任持ってくれるのか」と言った意見が続出しました。僕が「労組を作ったら変わるのでは」と言うと「労働組合は今までもあったし、入ったこともあるが何も変わらなかった」と言われ言い返せないという感じでした。 それから勉強しました。中野さんの「俺は鉄路に生きる1~3」「甦る労働組合」を読ませていただき、労働組合と政治闘争の関わりなんかも実践的にはたくさん辺野古で出会ったということはありますが、理論的にはそこで勉強しました。その中で動労千葉の今までと現在の闘いに触れ、動労千葉のように闘う労働組合が名護にも必要だと確信しました。 そして、07年9・29の12万人決起は労組を作ろうか考えていた時期に決定的な展望を見せ付けました。 07年9・29県民大会は作る会教科書を先頭に学校の教科書に「沖縄戦の集団死は軍名でなかった」とする記述、考え方を政府主導で行ったことで爆発した大会です。 沖縄戦時、チビチリガマなど多くのガマ(洞窟)の中で「生きて辱めを受けるな」とする軍部の命令によって多くの労働者、女性、子供達が互いに殺し合い、集団死に致りました。 この教訓から戦後、教職員組合・教労を中心に「集団死は軍名であった」ことを公教育にする闘いが全国的に爆発し、全ての教科書に沖縄戦の事実が記載されました。これを歪曲することは沖縄戦そのものを美化し、戦争を良しとするものでしかない。沖縄の戦後の全ての反戦闘争を否定するものです。絶対に許されない。だからこそ、12万人・県民の1割が決起しました。 でも実はあの12万人は誰も予想もしていなかったのです。僕らは「10万人決起を」と訴えていましたが、既成政党は「議会で教科書問題を変えよう」という自分本位な訴えが沖縄中を席巻していて、本質的に訴える内容が街頭からは中々聞こえてこなかったのです。新聞でも「5万がやっと」と言った内容が載せられていました。 では、この12万人を誰が作ったのか。そこが重要です。 それは教労を中心とした労組に組織された労働者です。 先生達は教育委員会の制動を乗りえて授業で9・29県民大会の意義を生徒に訴え、生徒達と共にPTA、青年会や老人会をガンガン組織しました。そして、12万人を会場へと運んだのは自治体の労働者がバスを動かし、バス労働者が乗車券を無料にする闘いを行って送り届けたのです。 12万人総決起は僕に労働者が団結した時の無限の力の可能性を教えました。 もう一つは沖縄「全軍労」の闘いです。沖縄の闘いは全軍労を抜きに歴史を語ることが出来ません。 全軍労というのは知っている方もいらっしゃると思いますが、沖縄が復帰前に組織していた基地労働者の労働組合で非常に戦闘的でした。 ベトナム反戦闘争時代に基地労働者が基地をストで一時占拠するという事態まで全軍労はやっている。 60年~70年当時の全軍労・牧港支部青年部の「死すべきは基地、労働者は死んではならない」というスローガンには非常にショックを覚えました。 今の時代でいうなれば「死すべきは資本主義、労働者は生きて次の社会を作ろう」ということです。いま僕達に必要なスローガンは「これだ」と思ったわけです。 辺野古で出会ったベトナム人の80を超えるおじぃが「俺は沖縄が恐い。B-52も枯葉剤も沖縄から来たから恐いし、許せない。だけどあの時B-52が飛ばない日があった。あの日の"zengunrou"のストの日だ」と話していたのを覚えています。 それでこういう闘いをやった人達が今も沖縄にはいて、まだ働いている人もいる。先程の全軍労時代を「反戦派労働者」として闘ってきた仲間から話を聞きました。 基地撤去の問題に対して「基地撤去は何か別に雇用の場を確保してそこに労働者を移動すれば出来るというものじゃない。たとえ基地外に雇用の場を作ったとしてそれは基地の仕事を外注化したに過ぎない。基地撤去をする主体は基地労働者だ。基地の内部を誰よりも知っている基地労働者だからこそ、基地を実力で撤去し、基地のなくなった後に自分達の職場を創造出来る。その闘いを低めては絶対に基地撤去は出来ない」と話していました。 その後07年末に二波のストを新たな全駐労の指導部となる青年労働者と組織しました。 これがうるまユニオンを結成しようと僕に腹をくくらせたといっても良いです。非常にでかかった。 そして、最後の一つはやはり日比谷11月労働者集会です。 11月集会は労働者が一つの路線、時代認識の下で団結した時に無限の力を発揮することを肌で感じさせました。 9・29は無限の可能性を示しましたが、それを具体化した闘いは11月集会意外ありません。 12万人を決起させた9・29であっても体制内指導部が労働者の怒りを闘う路線に集約するはずはなく、教労の労働者の地を這いずるような地道の闘いを「議会政治」の闘いだけに貶め、歪曲してきました。 動労千葉や11月派と言われる闘う労組は指導部が鮮明に闘う方針を労働者に訴えてきました。「国鉄闘争・四大産別を軸に新基地建設を阻止し、革命やろう」ってどんなに鮮明なんだって話しじゃないですか。これが出来るのは動労千葉の実践に裏打ちされた闘いがあるからです。 皆さん、もし、11月集会派が沖縄県民大会の主催者だったらどうです。革命が起こっちゃいますよ。12万人を組織して基地に突入して、全ての基地を撤去してやりますよ。そういう話しです。だから、 僕はその主催者になろうと。主催者になれる実践と路線を持った労組を沖縄に作ろうと思ったわけです。 それで沖縄・北部合同労組"うるまユニオン"は結成されました。 |
5月2日(日) |
のぼり旗を作りました。 | 夕食は、手抜きして、寿司を買ってきました |
夕食後、「前進」春季特別号 (自作・コンパクト版)の読み あわせを、しました。 コンパクト版だけど、70分、 かかりました。 その後で、飲み会、みんなバ リバリに空気が入ってたのか 、いつになく高揚感に溢れて いました |
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三里塚、菱田の鈴木さんの山で筍堀り |
筍堀り |
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5月1日(土) |
昼食はカレー | ||
マンション掃除をします | ||
3時のお茶 | 5日のバーベキュー用に、差入れの 注文 |
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夕食は豆腐チゲ 鯵が二匹で200数十円で刺身に |
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← 鶏肉の梅・シソ天 菜花のおひたし → |
インターネットを見ていたら、こんな頁に当たった。 | |||||||||||||||
石神井川、空堀川、白子川で新しい区間の河川整備に着手します | |||||||||||||||
-水害から都民の命と暮らしを守る 安全なまちの実現- | |||||||||||||||
平成21年11月25日 建設局 |
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東京都では、洪水や高潮による水害から都民の命と暮らしを守るとともに、うるおいのある水辺空間や良好な河川環境を保全・創出するため、河川の整備を進めています。 このたび、石神井川および空堀川の下記区間について、本日付けで、都市計画事業の認可を取得し、河川整備事業に着手しますのでお知らせします。 |
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整備の概要河道の拡幅1時間あたり50ミリメートルの降雨による洪水を安全に流すことができるように川幅を広げる整備をします。 うるおいのある水辺空間や良好な河川環境の保全・創出川沿いの通路の緑化や親水性・動植物に配慮した護岸整備を進めます。
石神井川、空堀川、白子川について石神井川石神井川は小平市に源を発し、東京都北部をほぼ一直線に東へ流れ、北区王子駅付近で隅田川に合流する延長25.2キロメートル、流域面積61.6平方キロメートルの一級河川です。 ※資料 案内図 石神井川、空堀川、白子川(PDF形式:290KB) 「10年後の東京」への実行プログラム2009事業(石神井川、白子川)
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早速、下流を調査! |
動労千葉を支援する会・千葉が結成! |
動労千葉を支援する会のホームページから転載 |
EU崩壊のカウントダウンが始まった |
29日 ギリシャ 財務省に突入 NHK記事 30日 |
本日、ゴールデンウィーク突入集会!! |
3・14法大弾圧を許さない法大生の会のブログから転載 |
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