日  誌
2010年4月④

4月③へ 4月⑤へ
 2009年日誌 2010年日誌
スケジュール

4月15日(木
 昼食は寒かったので野菜チャンプルーそば、餃子
 Iさんが飯能で採ったクレソン 差入れ
3時のお茶はエスプレッソ
夕食は寄付のタイ・グリーン・カレーの缶詰 ミカンのサラダ
鯨カツ クレソンのおひたし 杏仁豆腐とパイン
 深夜のブーちゃん
外環反対闘争、新段階へ
         
 新聞紙上で「高速割引財源を道路建設に転用」方針と報道されています。これは、高速道路料金を地方で土日祝日に「1000円乗り放題」とする割引のために確保した財源を高速道路建設に転用できるようにするというもので、まさにイカサマです!自民党政権が実施した1000円乗り放題を廃止し、新たな割引制度を導入すると言いますが、実は高速道路整備への転用により、ドライバーにとっては実質的な値上げになるのです。報道によれば、これは小沢幹事長の強い意向で閣議決定に持ち込まれたとのことです。そして、この大半が外環建設のために使われる見込みです! 今年度予算では外環関連予算は見送られましたが、実はこの「裏技」を狙ってのことだったのです。

 何が「コンクリートから人へ」「高速料金無料化」か! 鳩山民主党政権は、大恐慌情勢のもとで、ゼネコン資本の意を受けて、住民生活をぶっつぶしてでも公共事業をガンガン進めようというのです。民主党政権は、まさに自民党ができなかった役割を担おうとしているということです。

 しかし、これは沖縄基地の「県外移設」公約と同じく、「人からコンクリートへ」の公約違反であり、地域からも「昨年衆院選では民主党を応援したが、今度の参院選では絶対に入れない」との怒りがどんどんあがっています。

 だから、やるならやってみろ!ということです。青梅街道インター地域では、外環事業に必要な、3月末までに実施とされていた井戸調査・地質調査・測量をすべて阻止し、地域に一歩も立ち入らせませんでした。私たちの地域では各戸には今も「井戸調査お断り」のステッカーが100枚以上も張られ、「外環・青梅街道インター絶対反対」のノボリがたなびいています。労働者住民が団結して闘えば勝てる、ということです。

 来るなら来い!三里塚のような実力闘争の力で外環建設を阻止し、石原都知事もろとも鳩山政権をぶったおしてやるぞ!
●<高速割引財源>道路建設転用は1.3兆円 政府方針 4月8日 毎日新聞
 政府は8日、08年度から高速道路料金の割引に充てている「利便増進事業費」(総額3兆円)のうち、1.3兆円を道路建設に転用する方針を固めた。同事業は、過去の高速道路建設の債務3兆円分を政府が肩代わりし、「休日1000円」などの財源を捻出(ねんしゅつ)する仕組み。既に5000億円が使われたが、参院選をにらんで高速道路建設を進めたい民主党の要求を受け、残りの半分以上を道路建設に振り向け、割引制度は大幅縮小する。

 前原誠司国土交通相は9日にも、6月から導入する車種別の新料金上限制度を発表する。新制度では現行の割引制度はほぼ全廃、割引財源の残高の半分以上を道路会社による道路建設に転用し、残る1.2兆円を新たな料金制度の原資にする。既存の割引制度が廃止されれば、利用者には実質値上げとなる。

 民主党は従来、高速道路建設は抑制し、必要な分だけ国費で造ると主張してきたが、高速道路建設促進を掲げる小沢一郎幹事長の求めに応じ、方針を転換。道路会社(旧道路公団)が高速道路を建設する仕組みに後戻りし、建設財源に国費を投入する。

 政府は既に、料金割引を財政支援の対象とする「道路整備事業財政特別措置法」の改正案を今国会に提出し、財源を道路建設に転用する方針を打ち出していた。

 転用される1.3兆円は、暫定2車線で開通している6路線の4車線化や、関越自動車道と東名高速道路をつなぐ「東京外環自動車道」の建設などに充てる見通し。【寺田剛、久田宏】
●高速割引財源“転用”を閣議決定 ドライバーには実質値上げ 産経ニュース 2010.3.12 09:00
 政府は12日、高速道路料金を地方で土日祝日に「1000円乗り放題」とする割引制度のために確保した財源を高速道路整備に転用できるようにする「道路整備事業財政特別措置法」の改正案を閣議決定した。政府は、前政権が実施した1000円乗り放題を廃止し、新たな割引制度を導入する方針だが、高速道路整備への転用により、ドライバーにとっては実質的な値上げとなる。

 1000円乗り放題などのために確保した財源は、2008年度からの10年間分で約3兆円。鳩山政権は、公約に掲げる高速道路無料化を10年度から一部路線で実験的に実施。その一方で、1000円乗り放題などの現行の割引制度を廃止し、車種によって料金に上限を設ける新たな割引制度を導入する方針を打ち出している。上限は乗用車の場合で、2000円とする方向だ。

 ただ、10年度の無料化路線のために投じられる財源はわずか1000億円に削減され、実施路線はごくわずかしかない。さらに、高速道路整備への転用により財源が減る中で導入される新たな割引制度は、「(現在よりは)むしろ値上げになる」(前原誠司国土交通相)。

 このため、政府内では世論の反発が高まることを懸念し、当初6月をめどにしていた新たな割引制度の導入を夏の参院選後に先送りする案も浮上している。

 今回、閣議決定された転用法案は、民主党の小沢一郎幹事長が昨年12月に政府に申し入れた高速道路の整備推進を求める重点要望を踏まえたもの。

 現行の1000円乗り放題などの割引制度は、特措法の「利便増進事業」として行われており、改正案はこの事業の対象を道路整備に拡大する。

 具体的には、(1)渋滞解消のための4車線化(2)高速道路がつながっていない区間を結ぶための整備(3)混雑解消のためのサービスエリアなどの駐車場整備-などが対象となる。

 鳩山政権は、これまで「道路公団の民営化の趣旨に反する」などとし、高速道路への税金の投入を否定してきたが、転用という“裏技”での方針転換には、批判も出そうだ。
●「人からコンクリートへ」 民主の高速道「やるやる詐欺」 J-CASTニュース2010/3/17
 民主党の目玉公約の一つであったはずの「高速道路無料化」が迷走している。従来は「道路建設に税金は投入しない」としてきたが、「休日1000円」などの割引をやめ、それで浮いた財源を高速道路建設に回せるようにする法改正が目前に迫っている。首都高速が実質値上げされる可能性も出ている。前原誠司国交相はこれに抵抗しているといわれるが、選挙対策を重視する民主党に押し切られた形で、もはや「人からコンクリートへ」の様相だ。

ことの始まりは、民主党が09年夏の総選挙に向けて「高速道路無料化」の政策を前面に押し出したのに対抗して、当時の麻生政権が3兆円の予算を付けて「休日1000円高速」を実施したことにある。

 高速道路建設のために国費を投じる
 これは道路整備事業財政特別措置法の「利便増進事業」として行われるもので、道路建設には使えない財源だ。民主党もこれまでは、高速道路建設のために国費を投じることには否定的な立場だった。

 ところがここに来て、この方針が覆されることが確定的になりつつある。政府は2010年3月12日、前出の特措法の改正案を閣議決定した。改正案の骨子は、3兆円の一部を、つながっていない高速道路(ミッシングリンク)の建設や、2車線を4車線に広げる工事にもあてられるようになる、というものだ。

 これは、民主党が09年12月に政府に対して行った重点要望を踏まえたもの。要望の内容はこうだった。
「高速道路会社による高速道路整備を推進するため、利便増進事業を抜本的に見直すとともに、いわゆる新直轄事業を取りやめ、これに見合う額を国が高速道路会社に対し支援する」

簡単に言えば「『1000円高速』の財源の一部を高速道路会社に渡して、会社が道路の整備をする」ということだ。要望は、選挙対策を重視する小沢一郎幹事長の意向を強く反映しているとされる。

 直後は、前原国交相は「党内で全く議論されていない」と猛反発していたものの、法案の閣議決定を直前に控えた3月8日の会見で「方針転換したのか」と問われると、
「転換したというか、党の要望を聞いて、それを制約要因の中でどう実現をするかということを考えた」
と釈明。すっかりトーンダウンしてしまった。

首都高速と阪神高速、事実上の値上げ?
 また、閣議決定直後の3月12日の会見では、
「税金を高速道路会社には突っ込まない。高速道路会社が造るわけではない」
と苦しい説明。記者から

「今後、高速道路会社に3兆円の予算を使って道路を造るわけではないのか」
と突っ込まれると、
「それは党の要望であって、それを決めているわけではない。 正に高速道路の料金体系、また高速道路の維持管理、運営のあり方というのは今後決めていくこと」
とし、「料金体系は未定」との立場を強調した。

 だが、事態はそう動いてないようだ。毎日新聞が3月17日に報じたところによると、首都高速と阪神高速の定額料金(東京線で普通車が平日700円など)を距離別料金制に移行する際、事実上の値上げが行われる模様だ。

 料金額が決まれば、利用者からの反発が強まるのはもちろん、利用者の利便性を犠牲にして道路建設財源を捻出する形で、「コンクリートから人へ」という民主党のスローガンが形骸化したとの批判も出そうだ。

4月14日(水
昼食はブリの照り焼き  豚汁  浅漬け
 寄付のお菓子
 これ全部、服薬します
3時のおやつ
 夕食 ゴーヤー・チャンプルー  水菜などのサラダ
 五目厚揚げ 三里塚野菜のホウレン草のおひたし 三里塚の筍ごはん、菜花の味噌汁
 夕食後、「街」屋台
 青年が署名をします

解雇の撤回もなく、JRの責任も問わず、
国鉄分割・民営化による
不当労働行為の一切を容認する「解決案」
動労千葉を支援する会のホームページから転載

●「1047名問題和解案」に対する動労千葉の見解

JR不採用問題:解決案、県内に賛否 「労働者の状況、改善ない」 /千葉 毎日4・10

●政治解決内容

●対照表 「解決案」の推移 PDF

●不当労働行為責任を不問にする解決案をキッパリ拒否し、
労働組合を甦らすため解雇撤回まで闘います(3/25秋田闘争団)

No.

国鉄闘争の火を消してはならない  国鉄分割・民営化との闘いは終わってない
「1047名問題和解案」に対する動労千葉の見解

(1) 政府と与党3党・公明党が、国鉄1047名問題の「解決案」について合意し、政府・鉄道運輸機構と4者4団体の間で「和解」が成立しようとしている。これは、当該である動労千葉、動労千葉争議団を排除して進められてきたものであり、われわれには何も提示されてはいない。しかし、報道されているかぎりでは、謝罪も、解雇撤回もなく、いくばくかの金銭によって国家的不当労働行為を正当化し、人生をかけて闘いぬいてきた1047名の思いをふみにじるものだと言わざるをえない。

 政府は、今回の「和解」について、「1047名は万全の雇用対策を講じてきたにもかかわらず結果として解雇された方々」「政府としての責任は全て果たしている」「ただ長くかかっている話でございますし、かなり御高齢になっておられますので、その意味では何らかの政治的解決が必要との考えに同意する」(1月29日・衆院予算委員会での前原国土交通大臣答弁)とし、JR各社は「法的に解決済みの問題」などとして、「200名程度の採用を要請する」という4党案すら拒否している。 「和解」という姿をとって国鉄分割・民営化が正当化され、1047名の23年に及ぶ苦闘が否定されようとしているのだ。

 この間、「政治解決のため」と称して国労本部が行なってきたことは、国鉄改革法の承認、「JRに法的責任なし」の承認、政府やJRへの「詫び状」の提出、JRとの「包括和解」=全ての不当労働行為事件の取り下げやJRにおけるあらゆる合理化の容認、解雇撤回要求の取り下げ等、闘いの放棄と屈服であった。

 23年間の困難な闘いを継続した闘争団の本来の思いはこうして蹂躙され、孤立させられた。その過程で闘いは、本音と建前が分離し、与野党の国会議員への根回しだけが「解決」の唯一の手段と見なされるようになった。こうした結果の産物が今回の「政治決着」である。

(2) 国鉄分割・民営化は戦後最大の労働運動解体攻撃であった。第二臨調の設置(1981年)、中曽根内閣の発足(1982年)から約30年、戦後日本の労働運動の歴史の半分に及ぶ歳月が国鉄分割・民営化攻撃との攻防を焦点として火花を散らしてきたと言っても過言ではない。20万人の国鉄労働者が職場を追われ、200人が自殺に追い込まれ、総評・社会党が解体され、日本の労働運動は後退を余儀なくされた。以降、社会をのみ込んだ新自由主義政策の下で、労働者の雇用・賃金・権利・団結は破壊され、全雇用労働者の4割が非正規職に突き落とされたのだ。

 国鉄分割・民営化攻撃の決着を許さず、23年間闘い続けられてきた1047名闘争は、こうした現実への決定的な対抗力であった。それは、労働運動史上前例のない大量首切り攻撃をめぐる争議であると同時に、日本の労働運動の全蓄積がここに凝縮して生み出した画期的な闘いであった。だからこそ全国の無数の労働者がこの闘いに自らの未来を託して支援し続けてくれたのだ。またそれは、「行革でお座敷を綺麗にして立派な憲法を安置する」という中曽根の狙いを許さず、今日まで改憲をおしとどめてきた力でもあった。

 動労千葉は国鉄分割・民営化攻撃に対し、首をかけて二波のストライキに立ち上がり、40名の不当解雇をはじめとした組織根絶攻撃を受けながら、団結を守ってJRにのり込み、今日まで闘いの道を貫いてきた。それは、労働組合の存在価値、労働者の誇りをかけた闘いであった。

 国鉄分割・民営化はまさに分水嶺であった。われわれは、30年に及ぶその攻防の帰すうを問う大きな歴史の転換点に立っている。

(3) 「和解」の結果起きるであろうことは、国労の瓦解・JR連合への吸収である。実際、国労とJR連合との間では、様々なかたちをとった協議が始まっている。

 23年間の闘いは何のためだったのか。ときの首相が「国労を潰し、総評・社会党を潰すことを明確に意識してやった」と公言してはばからない現実を許しておくことはできないからであった。ここまで突き落とされた労働者の現実、労働運動の現状を打ち破り、労働者が団結と誇りを取り戻すためであった。その結果が国労の「瓦解」では、首をかけ、人生をかけた闘いの意味が失われることになる。

 しかも、自治労や日教組をターゲットにしたいわれなき非難や弾圧が吹き荒れ、この1月には、社会保険庁の解体・民営化をめぐり、国鉄と全く同じやり方で1000名の労働者が解雇され、数千名の労働者が非正規職に突き落とさ

ているのだ。そして、525名の労働者が屈辱的な「自主退職」を拒否し、あえて分限免職の道を選んで闘いに立ち上がろうとしている。道州制導入をめぐっては、公務員労働者360万人を一旦解雇し、選別再雇用するという究極の民営化・労組破壊攻撃がかけられようとしている。

 絶対に国鉄分割・民営化を正当化させてはならない。それは、敵にフリーハンドを与え、労働運動のより一層反動的な再編・解体攻撃に棹さし、日本の労働運動・労働者の将来に大きな禍根を残すことだからだ。このようなかたちで1047名闘争が終わった後に始まるのは、新たな、より大規模な民営化・労組破壊攻撃である。

 今、与党三党をのみならず、公明党や自民党を含むあらゆる勢力が国鉄分割・民営化問題の原点に引き戻され、それに決着をつけるために動きだした背景にあるのは、危機を深める現在の情勢だ。貧困の蔓延や社会の崩壊をもたらした民営化・規制緩和路線への怒りの声が1047名闘争のもとに結集することを恐れているのだ。

(4) 動労千葉争議団と鉄道運輸機構との裁判では、本州JR不採用者は、「採用する職員」が決定されるわずか数日前までは、採用候補者名簿に搭載されていたことが明らかになった。それが、葛西職員局次長(当時)の指示で急遽外されたというのである。

 この時に起きていたのは、あまりに激しい組合破壊攻撃の中で、膨大な労働者が自ら職場を去り、本州では、JR各社の採用者数が「定員割れ」になるという事態であった。国鉄当局は当初は、閣議決定された定員を割り込んでしまった以上全員採用するしかないと判断し、その旨の記者会見まで行なっていた。

 予想外の事態にあわてたのが鉄道労連(現JR総連)であった。民営化の手先になった手前、「全員採用など絶対に認められない」「国鉄改革の妨害者を採用するな」という特別決議まであげて当局に激しく迫った。

 動労千葉9名はこうして名簿から外されたのである。採用差別は、まさに政府・当局とJR総連が結託した不当労働行為であった。その後、1千万人以上の労働者を非正規職に突き落とす突破口となった攻撃がいか強行されたのか、その構図がついに明らかになったのである。いよいよ反転攻勢に立ち上がるときがきたのだ。

(5) 国鉄分割・民営化攻撃との闘いは何ひとつ終わっていない。今、JRの職場では、鉄道業務のほとんど全てを丸投げ的に外注化し、JRを数百の子会社・孫会社に分割して労働者を強制出向にかりたて、あるいは非正規職に突き落とす究極の合理化攻撃がかけられている。それがもたらすのは第二の尼崎事故だ。

 「官から民」というだけでなく、この20年余り、あらゆる企業で吹き荒れた外注化(アウトソーシング)攻撃は、新自由主義政策・民営化路線の核心をなす攻撃であった。例えば、1984年に民営化されたNTTは347の会社に分割され、9割以上の労働者が退職を強要されて下請会社・孫請会社に突き落とされている。それは、アメリカでは「外注革命」と呼ばれ、日本では通産省が音頭をとって進められた国家戦略であった。労働者はそうやって「最底辺へと向う泥沼の競争」に駆り立てられたのだ。そして人と人の社会的連帯が断ち切られ、雇用・教育・医療・社会保障をはじめ全てを競争原理の中に叩き込んで社会そのものを破壊したのである。

 われわれはこの闘いを「第二次分割・民営化反対闘争」と位置づけ、反合・運転保安闘争路線の真価をかけ、三河島事故・鶴見事故以来の国鉄労働運動の総括をかけて、数年がかりの大闘争に入ることを宣言した。闘いは、昨年秋から今春にかけ、5波のストライキで外注化4月1日実施を阻止し、東労組等の組合員が動労千葉に結集しはじめる成果を実現している。それは同時に労働運動の再生をめざす闘いでもある。

 労働者が置かれた酷い現実は自然になったものでも、避けがたい必然だったわけでもない。労働組合が後退と変質を深めたことによってもたらされたものだ。労働運動の現状を変えないかぎり何も変わらない。ここに今問われている核心問題がある。

 われわれは、1047名闘争と、外注化阻止・第二の分割・民営化反対闘争をやりぬけば、今はまだ団結する手立てを見いだせていない無数の労働者の怒りの声が堰を切って流れだすことを確信して闘いぬく決意だ。

 今回の「政治決着」は、こうした現実に抗するどころか、「解決のために」と言って、JRにおける業務外注化攻撃等の容認と一体で進められてきた。解雇争議の「和解」の裏で労働組合そのものの変質が進み、何千名もの労働者が強制出向に駆り立てられ、非正規職に置き換えられているのだ。

(6) 怒りの声は社会の隅々まで満ちている。今こそその怒りの声を団結した力として結集させなければならない。国鉄分割・民営化攻撃の決着を許さず闘い続けられてきた1047名闘争は、その結集軸となる可能性を秘めた闘いであり、日本の労働者と労働組合にとって勝利の展望そのものとして存在してきたのだ。このようなかたちで幕を引いてはいけない。

 国鉄分割・民営化攻撃との闘いは何ひとつ終わっていない。動労千葉と動労千葉争議団9名にとって全てはこれからである。国鉄闘争の火を消してはならない。われわれは、23年間の長きにわり動労千葉の闘いを支えてくれた支援の力に応えるためにも、1047名解雇撤回、民営化・外注化・労組破壊攻撃と対決し、その勝利の中に労働者と労働組合の未来がかかっていることを確信し、闘い続ける決意である。

 2010年4月9日        国鉄千葉動力車労働組合

大失業と戦争の時代に通用する新しい世代の動労千葉を創りあげよう!
開講2日目!!
 3・14法大弾圧を許さない法大生の会のブログから転載
不当処分の当該である齋藤君(法学部2年、退学処分)・倉岡さん(人環3年、停学1年)を先頭にアピール!!

4・28沖縄デーに日比野野音に集まろう!と呼びかけ
 とめよう戦争への道!百万人署名運動 のブログから転載
 4・25沖縄県民大会に連帯して、4・28沖縄デーに東京で集会とデモが行われます。それへの参加を呼びかけて、11日の日曜日の午後、JR秋葉原駅前で街頭宣伝を行いました。この日の街宣は百万人署名運動が呼びかけ、4・28集会実行委員会に参加する仲間が15名ほど参加してくれました。街宣時間帯の午後1時~4時は半袖でもいいくらいの暑さでしたが、水分を補給しながら、「戦争のための基地はいらない、移設ではなく撤去させよう」と訴えました。百万で急きょ発注したブルーの横断幕も間に合い、4・28実行委の横断幕も掲げて、アピール力抜群でした。
画像   画像
 交代でマイクアピールをしながら、4・28実行委のカラフルなビラをまき、百万の「沖縄・憲法」署名も呼びかけました。人の流れが早く、ビラを受け取ってくれる人は数十人に一人という感じでしたが、学生や若い労働者の反応がとても良かったです。「(普天間の問題は)ニュースでよくやってるので知っています」「どうして(沖縄の基地は)今までそのままだったのか、おかしい」と。そして「日米安保をなくそう」と明書した署名に快く応じてくれました。署名は約200筆が集まりました。

 こちらの話を聞きながら「あなたは沖縄から来ているのですか?」と2回ほど聞かれてびっくりしましたが、本当に、沖縄の問題は私たち自身の問題だとなるようにがんばらねばと思いました。(事務局 S)
画像   画像
 画像  授業中かな?
●4・28沖縄デー集会
(とき)4月28日(水)午後6時30分開始
(ところ)日比谷野外音楽堂(日比谷公園内)
*集会後、銀座デモ
(主催)4・28集会実行委員会
戦後50年を問う8.15労働者・市民のつどい全国統一実行委員会/とめよう戦争への道!百万人署名運動/沖縄民権の会/婦人民主クラブ全国協議会/星野さんを取り戻そう!全国再審連絡会議/8.6広島-8.9長崎反戦反核闘争全国統一実行委員会/国鉄千葉動力車労働組合/沖縄と本土をむすぶ労働組合連絡会議/全国労組交流センター/法政大学文化連盟/全日本学生自治会総連合(織田陽介委員長)
連絡先:電話03-3845-7461、ファックス03-3845-7463(全国労組交流センター)
 裁判員制度にとどめを!5.18全国集会へ、マリオン前で街頭宣伝
 4月10日(土)に行われた「裁判員制度はいらない!大運動」の定例街宣に参加しました。5月18日の「大集会」の宣伝です。弁護士の皆さんも普段より参加が多く、意気込みを感じました。
 有楽町マリオン前はビル風がよく吹くのですが、この日も好天に恵まれて?暖かい風が吹き付けていました。これではビラがまきにくいのでは?と思いましたが、受け取りがとても良く、心配ご無用という感じでした。「裁判員制度に反対です」「みんなの力で裁判員制度をなくそう」と大声でビラを配ると、遠くを歩く人も近寄ってきて受け取ってくれます。
画像  画像
署 名をしてくれた男性は、「こんな制度、絶対に無理でしょう。それから、このままでは、三審制も壊れちゃうんじゃないの?」と言っていました。良く見ているなーと関心しました。(事務局 K)
画像
裁判員制度にとどめを!5.18全国集会
裁判員制度施行1年、私の拒否を みんなの拒否へ
みんなの拒否で 制度廃止へ!
(とき)5月18日(火)午後6時30分~
(ところ)東京・日比谷公会堂(日比谷公園内)
(主催)裁判員制度はいらない!大運動
http://no-saiban-in.org/index.html
(内容)
講演
 斎藤文男さん(九州大学名誉教授)「憲法違反の裁判員制度」
アピール
 福島貴和さん(善光寺玄証院住職)、崔洋一さん(映画監督)ほか
チケット 500円

 だ  ん   け  つ 2010年4月14日
№337
東京北部ユニオン 「街」分会
関町北4-2-11
「犯罪的政治解決許さない!」
4・11秋田で国鉄集会
 4月11日、「国鉄1047名解雇撤回!政府・JR・鉄建公団は責任をとれ!解雇撤回なき政治解決許すな!4・11秋田労働者総決起集会」が、30人を超える結集のもと圧倒的成功裡に勝ちとられた。

 この日は正午から1時まで、秋田駅前の最も人通りが多いポポロ-ドで、「雇用」も「年金」も完全削除した「政府解決案」と、これに全面屈服した4者4団体の裏切り「合意」に対する怒りを充満させ、国労秋田闘争団・小玉忠憲さんと九州からかけつけた小倉地区闘争団・羽廣憲さんを先頭に、総勢20人余りで街頭宣伝に立った(写真)。
 「頑張ってください! 私も仕事をみつけてがんばる!(無職)」「自殺を減らし労働者が住みよい国を!(中学生)」「立ち上がれ青年!」「案を拒否して、なおかつ先をめざす諸君にエ-ルを送ります!」と、社会に対する怒りと激励の声が次々と団結署名メッセ-ジに書き込まれ、多額のカンパが寄せられた。

 午後2時から開始された集会では、主催者を代表してAさんが「解雇撤回なき政府案に4者4団体が合意するという局面を迎えている。本日の集会は、非常に重要な集会になった」とその意義を強調した。

 特別報告にたった鉄運機構訴訟原告の小玉さんは、国鉄1047名解雇撤回闘争は新自由主義を粉砕する分割・民営化絶対反対闘争であり、現在の青年労働者・学生の生活と未来を切り開く闘いそのものであること、そして「今回の解決案は、不当労働行為責任も、謝罪も、解雇撤回もなく、JR職場で国労の旗を守ってきた仲間を踏みにじり、中曽根や松田・葛西・井手ら極悪下手人をすべて免罪するものだ。こんな犯罪的政治解決など絶対に許さない」と声を張り上げた。さらに「私はキッパリ拒否し、裁判も取り下げない!追いつめられているのは民主党・連合政権でありJRだ。団結を拡大すれば必ず勝てる!」と言い切り、「動労千葉が呼びかける全国運動に賛同し、一層の支援・共闘を」と熱烈に訴えた。

 次は5・27被告団でもあり、鉄建公団訴訟原告の羽廣さんだ。「私は解雇時も今も一組合員。意識改革(国労脱退)すれば即JR採用という中で、自分にはウソをつけないから、『人材活用センタ-』に収容されてから結婚したが、おかしいことはおかしいと筋をとおし、子供を抱えながら解雇された。四党合意に反対する我々の除名を狙った、卑劣な逮捕・勾留という5・27臨大弾圧にも勝利してきた。今回の政府案に屈服し裏切った松崎は許せない!こんな屈辱的政治和解は拒否する、裁判も取り下げない!全国をかけまわって仲間をつくり勝利まで闘う!」と決意を語り、満場の拍手を浴びた。
 会場からの活発な質疑応答に続き、連帯の挨拶が地元B労組委員長を筆頭に、国労郡山・仙台市職労・全金本山労組の仲間から行われた。そして圧巻はC工場の青年派遣労働者D君の決意表明だ。「時給850円で月12万円、3ケ月ごとに切られる、これが2000万青年の現実です。これは国鉄分割・民営化から始まった。僕の闘いと国鉄1047名闘争は一体です。ともに闘います!」と、実にすがすがしい決意が本集会の成功を締めくくった。

 政府解決案なるものの反動的正体と国労本部ら4者4団体の裏切りを全面暴露し、怒りを解き放つなら、労働者は必ず立ち上がる。4・11集会は、実に重大な勝利を切り開いた。いざ、4・25尼崎現地闘争の大爆発へ進撃しよう!(秋田TK)

No.

追悼 中野 洋  元副委員長 布施 宇一
   〈その死〉
 
中野洋が最後に入院した10日ほどの間、連日のように病院へ通った。
 そんなある日、自宅の庭先で蕗のトウを見つけた。彼は、私の妻の作った田舎風の季節の野菜の煮物などを届けると、「昔の味がする」と喜んだが、とりわけ、春の訪れを告げる甘苦い蕗味噌を喜んだものだった。そのことを思い出し、妻と語らって小さなザルいっぱいの蕗のトウを集めた。

 夕刻、出来上がったまだ暖かい蕗味噌を小さなタッパーに入れて病床へ届けた。
 病床の彼が口にすることができないことは分かっていたが、発病以来、献身的に看病してきた彼の姉さんをはじめ、付き添っている人達に食べてもらえればと思ったのである。その夜病院から帰って、同じ蕗味噌を肴に酒を飲んだ。
 蕗味噌をアテにするならば、酒は日本酒。「普通酒」の常温がいい。
 狭心症で手術をした身には「アルコールは原則禁止。どうしても飲みたい時は、日本酒なら一合まで」なるドクターストップがかかっている。しかし、この夜は飲みたかった。家族が寝た後の茶の間。石油ストーブの温もりの中で、外を吹く風の音を聞きながら飲んだ。いつも傍らにある「俺たちは鉄路に生きるⅢ」の職場の活動家の座談会のページをパラパラとめくりながら飲んだ。酒は千葉の地酒・仁勇の「ワンカップ」。蕗の苦さ。味噌の甘さ。久しぶりの酒精の辛さ。
 戦争で父親を亡くし母子家庭で育ち、国鉄労働者として生き、今、末期ガンで苦しんでいる中野の人生を想った。

 翌3月4日、9時過ぎに田中委員長から電話。「血圧が40になりました」。 すぐに病院へ向かったが、到着すると「10分ほど前に息を引き取りました」とのことであった。 胆管ガンの発病から足かけ五年。「長くてもあと1年」と宣告された命を、階級闘争への執念に裏打ちされた生きることへの強い確信で奇跡的に生きて、彼は逝ったのだ。
   〈その闘い〉
 「俺たちは…Ⅲ」の職場の活動家たちの座談会を読むと、何度読んでも心が暖かくなる。館山、木更津、幕張…それぞれの職場で、ひとり一人の労働者が、悩み、苦しみながら闘いに結集していく様子が明るく語られている。

 リストラされた労働者の自殺が累々と続く今日の状況下で、何でこんなに明るいのか。それは激烈な討論を経て決意した闘いを職場・生産点でやり抜いたからだということが私にはよく分かる。 40年余り前、私も彼らと同じように自分の職場が廃止されるという事態に立ち向かっていた。職場討議といえば聞こえはいいが、その実態は、まるで喧嘩のような怒鳴りあいであることが珍しくなかった。しかし、苦しいが充実した日々であったと今にして想う。「俺たち…Ⅲ」を読むと、40年の時空を超えて、自分が若い人達と一緒にいるような気分になり、現に闘っている若い人達の気持ちが「よく分かる」と思えてうれしいのだ。20代の頃から、中野洋は、このような職場・生産点の闘い…職制に「ものも言えない」状態から、団結の力で、職制を圧倒するような力関係をつくっていく闘いの先頭に立っていた。

 それから40年余も、動労千葉で彼と一緒にやってきた私には、この職場・生産点に立脚し切るという姿勢を終生貫いたことが中野洋の真骨頂なのだということが身に沁みて分かる。ここのところがなければ、動労千葉の今日の団結はなかったと心底思う。

 中野の通夜、告別式には連日千人もの人が集まった。とりわけ、委員長を退いて十余年も経っているのに実に多くのOB(元組合員)が集まった。延々と続く焼香の列を目の前にして私は、職場・生産点に立脚し切るという原点を守り抜いた中野の姿勢を多くの仲間たちが私と同じように支持していたのだと改めて確信した。
   〈これからも〉
 田中委員長から本稿を依頼されたのは告別式が終わってまもなくのことであった。
 書こうと思っても書けなかった。1ヶ月も経ってしまった。
 40年も共にいて、中野洋が何者であるかを考えたことがなかったのだ。考えなくても、あるがままの姿で中野はそこにいたのだ。
 戦略・戦術をめぐる怒鳴りあいもしたし、何日も口をきかないような対立も何回もあった。しかし、「職場・生産点」の一点で、敵対矛盾に転化することなく、動労千葉は動労千葉でありえたのだと本稿を書いていて、あらためて思った。
 動労千葉の団結は、このような、個々の組合員同士の葛藤の中から生み出され、「俺たちは…Ⅲ」にあるように、今も若い人達に引き継がれている。

 中野洋を送るのに言葉はいらない。冥福など祈らなくてもよい。

 「職場・生産点からの闘い」がある限り、その伴走者として彼はいつもわれわれのそばにいるのだ。彼が真に安らぐのは、若い労働者たちの闘いが中野世代のそれを乗り越えた時なのだ。

 これからも闘おう! 若い労働者達に、心から呼びかけたい。        2010年4月6日記


 

4月③へ 4月⑤へ
 2009年日誌 2010年日誌
inserted by FC2 system